勝山城(かつやまじょう)

勝山城 投稿者:織田上総介晃司さん

城郭基本情報

名称(よみ) 勝山城(かつやまじょう)
通称・別名 瀧山城、滝山城
所在地 島根県安来市広瀬町石原
天気情報

05/06(月) 降水確率:60%
26℃[-2]19℃[+4] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 室町時代
主な城主 田中氏(尼子氏家臣)、毛利氏
遺構 曲輪、土塁、畝状竪堀
勝山城(かつやまじょう)は、島根県安来市広瀬町石原にある山城。

歴史 

古くは滝山城とも呼ばれ、尼子十砦のひとつとして数えられた。尼子氏の家臣である田中三良左衛門が城主を務めたと伝わる。

天文11年(1542)から、出雲へ侵攻した大内義隆が尼子氏の居城である月山富田城を攻撃。この際に京羅木山に陣を置き、勝山城も利用されたと考えられている。

永禄5年(1562)からは、毛利元就が出雲へ侵攻。永禄8年(1565)に星上山に本陣を置き、勝山城にも布陣した。毛利軍は月山富田城を見下ろす京羅木山に5つの陣城を築いており、勝山城もそのひとつとみられる。

遺構 

月山富田城の北西側、飯梨川の対岸に位置し、京羅木山から東に派生する丘陵上、標高約250mの勝山山頂に築かれている。南北に伸びるに尾根上に曲輪を配し、南端が東へ折れたL字型の城だ。

城域の北端は三重の堀切で尾根を遮断し、北端の曲輪には人枡と呼ばれる土塁囲みの虎口が設けられている。

最大の特徴は、東側から南側の斜面をびっしりと埋め尽くす畝状竪堀だ。その数は40本以上に及び、良好に残りかなり見ごたえがある。西側斜面がかなりの急傾斜であるのに対して東側斜面が緩斜面であるため構築されたと思われる。西側斜面に竪堀は1本もなく、東側への強い警戒が感じられる。

折れを伴う曲輪を設けて畝状竪堀群に横矢を掛ける、巧妙な縄張も特徴だ。南端の曲輪は東側に虎口が開いているが、虎口前も道筋を屈曲させて横矢が掛かるようにしており、技巧性が光る。

現在見られる城の遺構は、畝状竪堀群や虎口の特徴などから推定すると、永禄5年からの毛利氏の侵攻の際に毛利氏またはその勢力によって改修されたものだろう。南端の曲輪からは目と鼻の先に月山富田城のほぼ全域を一望でき、長期に及んだ戦いの緊張感が伝わってくる。

交通 

・山陰自動車道安来ICから車で約20分

参考文献 

・『出雲の山城 山城50選と発掘された城館』、ハーベスト出版、2013年。

文:萩原さちこ



城郭口コミ


2023/12/04 18:56RED副将軍
勝山城:畝状竪堀群と巨大な桝形が特徴的な毛利元就による月山富田城攻めにおいての本陣跡⚔⁡オススメ度 ★★★★★⁡築城年代は不詳。歴史は古く、尼子十砦の一つとして数えられた滝山城が前身とされます。城主に尼子氏家臣の田中三良左衛門の名が伝わります。1542年には石見守護の大内義隆が出雲に侵攻し、尼子氏の月山富田城に攻め寄せます。京羅木山に布陣し、勝山城も利用されたと考えられています。1562年には毛利元就が出雲に侵攻開始し、1565年に月山富田城を落とすために、毛利軍は京羅木山に5つの陣城を築城。そのひとつで本陣を置いたのが勝山城とされます。毛利元就は月山富田城を包囲し兵糧攻めを実施。約2年に及ぶ籠城戦の...

2023/10/14 16:10大納言尼子保久
勝山城:登山口から徒歩20分位で登れます。城跡の看板は見当たらず。

城郭攻略情報


2023/06/04 11:21
cookey式部卿
東中津バス停
2023/06/02 00:21
あざらし肥前守
4回目の参加だった2日間で松江城・月山富田城・米子城を訪ねる中国オフ会で、富田城到着手前で。(❜19・4攻略)
2022/06/15 14:26
ピーチライダー
JR山陰線 無理
2020/12/21 09:56
❖ Aki関白
足立美術館にて月山富田城・新宮党館・勝山城の3城同時攻略出来ます。
2020/04/07 14:17
副将軍こうちゃん播守
JR荒島駅から「イエローバス」で広瀬行きに乗車して「安来三中前」→「西赤江」バス停間で攻略!

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 月山権中納言さん 45

 2位 楊貴妃右近衛大将さん 37

 3位 yamakさん 8

勝山城の周辺スポット情報

 京羅木山(周辺城郭)

 駐車場(駐車場)

 登城口(その他)

 

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