日倉城(ひぐらじょう)

日倉城 投稿者:能登守ヘカテーさん

城郭基本情報

名称(よみ) 日倉城(ひぐらじょう)
通称・別名 日倉山城、掛合城
所在地 島根県雲南市掛合町掛合
天気情報

05/04(土) 降水確率:0%
27℃[+3]10℃[+2] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 雲南市観光協会[電話
分類・構造 山城
築城主 多賀山通定
築城年 室町時代
主な城主 多賀山(たかのやま)氏、毛利隆元
廃城年 天正19年(1591)
遺構 曲輪、土塁、虎口
指定文化財 市史跡(日倉城跡)
再建建造物 碑、説明板
日倉城(ひぐらじょう)は島根県雲南市掛合町にあった城である。

遺構 

雲南市の山間部を流れる三刀屋川と吉田川の合流地点南側、日倉山山頂に位置する山城である。

山頂の曲輪が主郭とされ、主に北の尾根筋に沿って小規模な曲輪が階段状に造成されている。

尾根の先端部は東西両側に土塁が築かれており、そのまま北側の専正寺・宗円寺方向へ放射状に広がる削平地へと続いている。

堀切や竪堀が見られないことから、古い形態を保ったまま改修されずに廃城に至ったものと考えられる。

歴史 

甲山城(こうやまじょう、広島県庄原市)城主、山内首藤(すどう)氏の一族である多賀山(たかのやま)左京亮通定が築いたのが始まりという。

多賀山氏は尼子氏に従っていたが、天文12年(1542)大内義隆による出雲遠征が始まると大内方に転じた。しかし、義隆が尼子晴久に敗れて敗走したため、多賀山氏もこれに従い大内氏の本拠である山口へ退いた。

義隆は後に家臣の陶晴賢に殺害され、その陶氏も毛利元就に攻め滅ぼされると、多賀山氏は毛利氏に仕え旧領に復した。

日倉城は元就が尼子氏攻略の過程で重視した瀬戸山城と三刀屋城の中間に位置したため、一時期元就嫡男の隆元が入城したという。

交通 

・JR西日本木次線木次駅から車で約25分

参考文献 

・『出雲の山城―山城50選と発掘された城館(高屋茂男編)』ハーベスト出版、2013年10月。
・『日本城郭大系 第2巻』新人物往来社、1980年。
・『週刊日本の城』デアゴスティーニ・ジャパン、2013年。


城郭口コミ


2022/07/18 00:10大膳亮雪真斎
日倉城:去年の豪雨により一部崩れてると聞いてましたが、問題なく登城出来ました。もう少し周りを散策したかったですが、大雨になり断念しました。地元の方が山頂整備されてるようなので、主郭は夏場でも綺麗になってます。笹藪に入る場合は、マムシと蜂に注意して下さい。

2021/05/30 20:44ビーンズマン中務大輔
日倉城:宗圓寺の前の坂を上り、専正寺の横の道を上に上がると日倉城の看板あり。そこに駐車し、15分ほど山道を登ると頂上に。頂上には、お地蔵さんがあり、開けている。比較的登りやすい。

城郭攻略情報


2024/03/05 14:20
ちろりん陸中守
島根方面よりR54掛合町多根地区ドライブイン王将付近で攻略
2024/01/09 22:37
池田紀伊守信輝
松江道高瀬山トンネル南側で攻略可能docomo
2023/05/20 10:41
あざらし肥前守
公共交通:一例松江道吉田掛合ICあたり。一畑バス、出雲市〜三次ICみこと号、松江〜広島BCグランドアロー号に乗車したとき。(❜20・7攻略)
2023/04/01 10:15
cookey式部卿
たたらば壱番地バス停
2020/04/06 14:56
副将軍こうちゃん播守
広島駅新幹線口から、高速路線バスみこと号に乗車して攻略!「道の駅たかの」→「たたらば壱番地」間で攻略!松江道41.1キロポストでした。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 朱麟夏左京進さん 10

 2位 大膳亮雪真斎さん 9

 3位 久緒利須権大納言さん 8

日倉城の周辺スポット情報

 駐車場&登山口(駐車場)

 

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