会下城(えげじょう)

会下城 投稿者:西市正紫雲さん

城郭基本情報

名称(よみ) 会下城(えげじょう)
通称・別名 大坂の城
所在地 鳥取県鳥取市気高町会下
天気情報

05/19(日) 降水確率:50%
27℃[+2]13℃[+2] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
分類・構造 山城
築城主 逢坂与十郎
築城年 元亀・天正年間(1570〜1592)
主な城主 逢坂与十郎
遺構 曲輪、土塁、堀切、土橋
再建建造物 説明板(会下城)
会下城(えげじょう)は鳥取県鳥取市気高町会下にあった城である。

遺構 

日本海の海岸線から南へ約2km、逢坂谷の西側に南北に伸びる山の山頂に位置する。

文政年間(1818~1831)に作成された『因伯古城跡図志』には、山頂部に四間(約7m)×二間(約4m)の平地、南の尾根に4ヶ所の平地、北の尾根に2ヶ所の帯曲輪が描かれている。尾根筋には曲輪・堀切・土橋の遺構が残る。

山頂からは大手側とされる東の逢坂谷、北の日本海、南は鷲峰山までを一望することができ、交通の要衝を押さえる立地であったことがわかる。

また、城の北東約300mの段丘先端には、南と西を堀で守られた城主の館があったという。

歴史 

城主は逢坂谷3千石を領する国人の逢坂与十郎と伝わる。

『気高郡史考』によると、元亀年間(1570~1573)のある日、突如敵が海上から現れ鬨の声を上げて城へ押し寄せてきた。与十郎は城を出て防戦するも衆寡敵せず自害しようとしたが、村人に諫止され落ち延びることとなった。

これを見た敵勢は与十郎を取り囲んだが、与十郎が弓術の達人であったために虎口を脱し、青屋(青屋町)に落ち延びたという。

会下城もまもなく落城した。

交通 

・JR西日本山陰本線浜村駅から車で約15分

参考文献 

・『気高郡史考』楢柴竹造、1923年。
・『日本城郭大系 第14巻』新人物往来社、1980年。
・会下城跡現地説明板、旧気高町教育委員会。


城郭口コミ


城郭攻略情報


2023/05/23 08:24
あざらし肥前守
公共交通:一例山陰本線浜村駅で安定。(❜18・4攻略)
2022/10/30 07:25
女虎美濃守
山陰自動車道青谷トンネル内で攻略。
2022/03/20 18:03
かわきち太政大臣
山陰本線青谷〜浜村にて攻略できました。
2020/07/23 15:31
ハピネス左大臣
海岸沿い9号線、浜村警察署付近でゲト!
2020/05/16 16:28
CemaNabuKo
気高広域農道走行中に攻略できました。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 ようぞう伯耆守さん 40

 2位 白うなぎ弾正忠さん 28

 3位 兵主主水正源六さん 10

会下城の周辺スポット情報

 登城口(その他)

 

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