佐井田城(さいたじょう)

佐井田城 投稿者:INO【兒】左近衛中将さん

城郭基本情報

名称(よみ) 佐井田城(さいたじょう)
通称・別名 才田城、斎田城、齋田城
所在地 岡山県真庭市下中津井
天気情報

05/01(水) 降水確率:40%
18℃[-5]10℃[-4] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 真庭市教育委員会生涯学習課文化財班[電話
分類・構造 連郭式山城
築城主 植木秀長
築城年 永正14年(1517)
主な城主 植木氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、堀切、切岸、井戸
指定文化財 市史跡(佐井田城)
再建建造物 石碑、説明板
佐井田城(さいたじょう)は岡山県真庭市下中津井にあった城である。才田城、斎田城とも書く。

遺構 

岡山県の中西部を南北に流れる中津井川の西方、標高332mの山上に位置する。

北東に向かって伸びる尾根上に連郭式の曲輪が連なる。一ノ壇から五ノ壇までの5つの曲輪が一直線上に配され、尾根続きの一ノ壇の西端は二重の堀切で遮断している。

最高所となる二ノ壇が主郭となり、約350㎡の広さを持つ。また、最も東に位置する五ノ壇の下方には2つの出丸(陽の郭)が置かれ、大手方面の防備を固めている。

歴史 

永正14年(1517)に、植木秀長によって築かれたとされる。ただし、鎌倉時代に山田重英が築城したという見方もあり、詳細ははっきりしない。

植木秀長は、はじめ同族の庄氏とともに尼子氏に従っていたが、永禄11年(1568)に宇喜多直家の弟・忠家が1万近い兵を率いて佐井田城に侵攻すると、抗しきれずにその軍門に降った。

その後、佐井田城は尼子氏・宇喜多氏・三村氏・毛利氏による争奪が繰り返され、植木氏が城を追われることもあったが、天正8年(1580)に秀長の嫡子・秀資が城主に返り咲き、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い後、廃城となった。

交通 

・JR伯備線木野山駅から車で約20分

参考文献 

・『日本城郭大系 第13巻』新人物往来社、1980年。
・佐井田城跡現地説明板。
・公益社団法人岡山県観光連盟公式サイト(https://www.okayama-kanko.jp/)。


城郭口コミ


2022/03/07 20:47ドクターイエロー大蔵大輔
中津井陣屋:備中松山藩主・石川総慶が延享元年(1744年)に三重県亀山市に移った際に、一部が亀山藩の飛び領地となりました。陣屋跡は代官所が置かれたところで廃藩置県まで続きました。今も残る「鰤(ブリ)市」では近郷近在からの人出で賑わい、タバコと共に藩の財政を潤して中津井の街も大いに栄えたと案内看板には記されています。現在は宿泊施設となっています。お食事もできるみたいです。残念ながら遺構は残っていないようです。また周辺には古墳が点在しており(案内看板あり!)、夏には付近の川ではホタルが乱舞します。R4.3.6訪問

2022/03/07 20:46ドクターイエロー大蔵大輔
福尾城:尾根筋上先端にに派生した比高差30m程の小さな城です。岡山県城郭館跡総合調査報告書によれば、その後の改変にて遺構はかなり失われているとのことでした。小さな堀切と切岸を伴った70×30m程の方形の主郭(一部土塁あり)が何とか確認できます。城館のようなイメージでしょうか?付近にも平坦地はありますが判然とはしません。真庭市北房英賀公園の駐車場に停めさせていただき、山道を進むとほどなくして主郭南西部の堀切を通過して主郭が姿を現します。R4.3.6訪城

城郭攻略情報


2023/08/28 00:27
あざらし肥前守
公共交通:一例JR伯備線から。
2022/08/09 17:05
左大臣ソノリティ
姫新線 岩山駅にて攻略
2022/04/10 15:00
遠征蔵人頭太郎
先人と同じく井倉駅北で攻略出来ました。
2019/09/01 20:42
播磨屋蔵人頭
伯備線井倉駅北側走行中に攻略。
2019/08/11 18:49
勘解由長官ピッコ丸
ポイントとしては備中川面駅の直近です。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 みっちゃん兵庫助さん 2

 2位 岸3大蔵少輔きんもさん 1

 3位 雲海城備中守さん 1

佐井田城の周辺スポット情報

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 福尾城(周辺城郭)

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 顔成寺(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

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 登城口(その他)

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