医王山城(いおうやまじょう)

医王山城 投稿者:副将軍お城エリコさん

城郭基本情報

名称(よみ) 医王山城(いおうやまじょう)
通称・別名 祝山城、岩尾山城
所在地 岡山県津山市吉見1609他
天気情報

05/07(火) 降水確率:50%
24℃[+3]15℃[-1] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 津山市教育委員会文化課文化財保護係[電話
分類・構造 山城
築城主 上道是次
築城年 南北朝時代以前
主な城主 山名氏、三好氏、湯原氏、宇喜多氏
廃城年 天正9年(1581)頃
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、畝状竪堀、虎口、枡形虎口
指定文化財 市史跡(医王山城)
再建建造物 碑、説明板

立地 

標高340m(比高約190m)の山頂に築かれた山城。東に加茂川が流れ、西には深い谷が入り込み、北に続く峰と南端は堀切で画してあるため、天然の要害となっている。因幡から津山盆地へ抜ける往来筋にもあたるため、この往来筋の掌握も意識して築かれたと考えられる。

城史 

初めて築城したのは、南北朝期以前の上道是次とされている。南北朝期の美作では山名氏と赤松氏が抗争を繰り広げており、医王山城も両氏が交互に拠守した。天文年間(1532~55)には出雲の尼子氏が2度侵攻し、その度に城は尼子氏の手に落ちた。尼子氏滅亡後の美作は、毛利氏と宇喜多氏の対立に巻き込まれ、医王山城には毛利方の湯原春綱が籠り、宇喜多勢と激しい攻防を繰り返した。

縄張 

北側の山頂部と南側の尾根頂部を中心に南北に長い城域を持つ。本丸を北端に置き、北東を大手、南を搦手とし、南北に細長い郭を配置する。本丸北側の尾根筋に連続堀切、南側尾根頂部の南面に放射状の畝状空堀群を配し、堅固に防御している。

本丸では西側と北東側に石塁を設け、両石塁が少し食い違っているため、西側の石塁隅でひと折れして中へ入る虎口となっている。南側尾根頂部の郭では石垣の桝形虎口がみられる。また、本丸付近では瓦が採集されており、瓦葺きの建物があったと考えられる。虎口や瓦の様子から、織豊系縄張り技術による改修がおこなわれたと考えられる。

情報提供:津山市教育委員会



城郭口コミ


2023/06/21 22:05RED副将軍
医王山城:放射状竪堀が特徴的な数多くの激戦があった山城🏯⁡オススメ度 ★★★★⭐︎⁡築城年代は不詳。諸説ありますが南北朝時代以前に上道是次によって築かれたとも伝わります。南北朝時代の美作国は山名氏と赤松氏が争っていたため、医王山城も戦地となり交互に両氏の支配となった様です。1441年の嘉吉の乱後は山名氏の支配となり山名忠重が在城しました。1554年には尼子国久が美作に侵攻。浦上宗景に属していた岩屋城などと共に落城した様です。毛利元就により尼子氏が滅亡すると、医王山城も毛利氏の属城となりました。1579年、宇喜多直家が織田信長に寝返り毛利氏と対立すると医王山城も毛利氏と宇喜多氏との激戦の舞台となり、湯原春...

2023/04/18 21:13tracer_azu
医王山城:矢筈城からほど近く矢筈城の後に攻城しました。セットで行かれると良いと思います。岩尾寺より登山道があり看板も出ています。主郭虎口周りの石垣がよく残っています。しかし主郭北側の遺構は薮と倒木が多く少し残念でしたが南側には岩盤を切り出した竪堀があります(こちらは堀切を降りていくと見ることができます)放射線状におちるウネタテも見ることができます。

城郭攻略情報


2024/03/02 18:46
けんた
津山線三浦駅で攻略出来ました。
2023/11/13 15:24
cookey式部卿
美作滝尾駅
2023/10/01 12:02
多田伊予守そおざえもお
R53を日本原方面から西へ、工門交差点付近で攻略
2023/08/05 19:35
かわきち太政大臣
姫新線からは不可でした…
2023/05/16 21:40
あざらし肥前守
公共交通:一例美作滝尾駅。東津山あたりは不可、電車では因美線乗車が必要。(❜20・7攻略)

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 縁の下の弾正尹さん 15

 2位 烏丸官兵衛さん 15

 3位 流浪の海夏鬼火子丸さん 5

医王山城の周辺スポット情報

 三の郭(遺構・復元物)

 登城口&説明板(碑・説明板)

 

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