鳥屋城(とやじょう)

鳥屋城 投稿者:副将軍お城エリコさん

城郭基本情報

名称(よみ) 鳥屋城(とやじょう)
通称・別名 外屋城、外山城、石垣城
所在地 和歌山県有田郡有田川町中井原
天気情報

05/05(日) 降水確率:10%
27℃[+2]11℃[±0] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 有田川町商工観光課[電話
分類・構造 山城
築城主 湯浅宗基
築城年 南北朝時代
主な城主 湯浅氏、畠山氏、神保氏
廃城年 天正13年(1585)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財 県史跡(鳥屋城址)
鳥屋城(とやじょう)は、和歌山県有田郡有田川町中井原にある山城。

歴史 

築城年代、築城者は定かではない。

永和5年(1379)に文献に記される南朝方の石垣城が、鳥屋城を指すと考えられる。紀伊守護の山名義理により攻め落とされたという。

石垣城は紀伊守護の畠山氏の拠点のひとつになった城で、天正13年(1585)の羽柴秀吉の書状にその名が確認できる。秀吉軍は湯川氏が籠る湯川館を攻めた後、畠山氏の鳥屋城を接収。これにより、烏屋城は廃城になったと考えられている。

遺構 

西側に有田川を見下ろす、標高304mの鳥屋山山頂に築かれている。

山頂を中心とした東側の曲輪群と、鞍部を挟んで南西尾根先に展開する西側の曲輪群とで構成される。細く急峻な山の地形を利用した城だ。

東側の曲輪群は、尾根上に曲輪が並ぶ。東端の曲輪がもっとも広く、端部には土塁がある。斜面には、土留めや遮断線として構築されたと思われる石垣が散見される。高さ約2mの石垣もあるが、ほとんど崩落している。

西側の曲輪群は東側の曲輪群とは様相が異なり、東側曲輪群のような直線的な曲輪配置ではない。土塁が多用されているのも印象的だ。

西側の曲輪群の、中央にある曲輪が主郭と思われる。その西側の曲輪には南北斜面に高さ2mの石垣があり、そこから西側に下がったところには、虎口に対応するような土塁が設けられるなど、戦国時代の改変を思わせる複雑さがある。城域の西端は幅約4m、深さ約1mの堀切で分断されている。

交通 

・阪和自動車道有田ICから車で約20分

参考文献 

・『図解 近畿の城Ⅱ』戎光祥出版、2015年。

文:萩原さちこ



城郭口コミ


2022/01/03 11:33鈴木剛
藤並城跡の説明看板:鎌倉時代には藤並氏の居城室町時代には堅田氏の居城平地に築かれ現在まで残る貴重な史跡です

2022/01/03 11:23鈴木剛
藤並城:湯浅党支配下の藤並氏の居城堀と土塁が残っている

城郭攻略情報


2023/05/19 12:09
cookey式部卿
西丹生の図バス停
2022/12/29 11:32
トリスタン参議ダクーニャ
JR藤並駅から金屋口に行くバスに乗車して、その途中で攻略。バスには15分ほど乗車してました。他の方の投稿にもあるように、藤並駅からレンタサイクルでも攻略出来るぐらいの手頃な距離感です。
2022/07/18 21:01
あざらし肥前守
公共交通:一例JR紀勢本線藤並駅前の有田川町観光案内所で普通自転車レンタル(無料・電動有料)。県道22号吉備金屋線(南北2本のうちの南側)を東進し、有田川町役場吉備庁舎前の信号を越え登ってから下り、産直どんどん広場まで1kmの看板を越えたあたり、約4km。(❜18・7攻略)
2022/04/29 12:29
かまたまぶっかけ
ローソン有田川庄町店でゲットしました。
2022/01/29 14:59
nari伊賀守
藤並駅から旧有田川鉄道跡の散策路ポッポ道3.0km地点にて攻略

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 たっきー紀伊守さん 11

 2位 熊楚姫本之宮熊治朗さん 9

 3位 尾崎左近衛少将龍馬さん 4

鳥屋城の周辺スポット情報

 藤並城跡の説明看板(碑・説明板)

 藤並城(周辺城郭)

 

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