日方城(ひかたじょう)

日方城 投稿者:薩摩守kanipyonさん

城郭基本情報

名称(よみ) 日方城(ひかたじょう)
通称・別名 日方山城、岡田城、壇城
所在地 和歌山県海南市日方
天気情報

11/22(金) 降水確率:20%
17℃[±0]10℃[+3] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
分類・構造 山城
築城主 山名氏
築城年 南北朝時代
主な城主 遊佐氏、山名氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、竪堀
再建建造物 説明板
明徳2年(元中8・1391)の乱(明徳の乱)で大内義弘は、和泉国より700騎を率いて府中(和歌山市)に布陣、海上からは兵船500艘が大野城の山名義理攻略に赴いた(『明徳記』)。この時義理は、大野城の北方約3kmの山に、東西に並ぶ支城を築いて防御壁を造った。その中心が日方城で、その東脇に扇子ケ城、西脇に城の平(二城山)、更に池崎城(一城山)が築かれた。これらが至近距離にあるため、過去の記録の中には所在地や居城者までもが混同して記載されているものが多い。

『日方記』(『海南市史』二)による日方城跡は「奥の谷北山頂上に城跡五百坪計上下段あり、是を日方山城と云フ」とある。この日方山は現在の「城ヶ峰」で、「市民の森」となっている。今、山上の木立ちの中に「城址」の説明板が建てられている。

居城者に諸説があり、『紀伊名所図会』は「畠山義深の家臣遊佐氏を守護代として」とし、『海草郡誌』は「明徳年中桑原弾正」だとしている。この桑原姓は、山名義理が明徳年中に桑原太郎左衛門正利と改名したことに始まるのだと『亀川百年史』は説明している。また『紀伊続風土記』に「青侍西島」とあるが、これは黒江の池崎城にも伝わっている。いずれにしても信頼できるものはなく、畠山氏、山名氏を問わず大野城が本城として存在している時の支城的存在であったことは記録からも判断できる。しかし、それ以後の使用もあったらしく、後述する天正5年(1577)8月の井松原合戦の記録にもしばしば登場し、しかも日方城の落城はこの時だともいう。

城跡は、東西約100m、南北約30mの長方形で、その内部は自然地形の5段から成る。その曲輪を囲むように土塁が残存し、南側のそれは屈折した部分や竪堀と思われる人工的な構造を見ることができる。全体的構造には複雑な面はなく、この広い地域内に兵を集めて指揮を執った陣城的存在で、最小限の防御を備えた県下ではめずらしい構造をした城郭跡といえる。

情報提供:海南市教育委員会生涯学習課



城郭口コミ


2024/03/29 20:03鈴木剛
神田城:以前綺麗に草刈りしてあり石積がよく見えていました。遺構かどうかはわかりません。

2024/02/09 01:40鈴木剛
南山城:紀伊国内では珍しい横矢がかり狙える防御施設が見られます。天正13年(1585)秀吉軍が大改修を行い4月からの太田城の水攻めの包囲網の南の要として使われたのではないかと言われています。別名祇園山城、城主塩谷伊勢守高貞

城郭攻略情報


2023/10/19 11:21
タイチ
海南駅近くにいったので山の下より。
2023/06/17 14:42
あざらし肥前守
海南市日方、伊勢部柿本神社。(日方えびす)(❜17・12攻略)
2021/09/19 10:13
安濃津中納言壱午
国道370号を西上、重根南交差点にて攻略。
2021/04/04 17:32
征夷大将軍クララ姫
阪和自動車道にて安定攻略
2019/09/07 22:42
かわきち太政大臣
紀勢本線紀三井寺~黒江にて攻略できました。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 紀州幸吉隼人正右衛門さん 134

 2位 よっちゃん大蔵少輔ですさん 120

 3位 海南川左馬頭参議和成さん 110

日方城の周辺スポット情報

 神田城(周辺城郭)

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 観光用駐車場(駐車場)

 

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