名称(よみ) | 櫛羅陣屋(くじらじんや) |
通称・別名 | (櫛羅城) |
所在地 | 奈良県御所市櫛羅字岸野(私有地) |
天気情報 |
05/19(月) 降水確率:30% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 御所市教育委員会[電話] |
分類・構造 | 陣屋 |
天守構造 | なし |
築城主 | 倶羅氏[櫛羅城]、永井直壮[櫛羅陣屋] |
築城年 | 室町時代[櫛羅城]、文久3年(1863)[櫛羅陣屋] |
主な城主 | 倶羅氏[櫛羅城]、永井氏[櫛羅陣屋] |
遺構 | 石垣、移築御殿玄関(九品寺)、移築門[櫛羅陣屋] |
櫛羅陣屋(くじらじんや)は、現在の奈良県御所市にあった陣屋。1863年(文久3年)に築かれた。
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城郭口コミ
2025/04/20 05:14 ʀᴇᴅ副将軍
櫛羅陣屋:永井氏宗家が藩主を務めた陣屋跡オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎1863年に永井直壮により築城。永井氏は桓武平氏長田氏の系譜であり、丹波国宮津藩の大名でしたが、四代当主の永井尚長は増上寺で行われた徳川家綱の法会において鳥羽藩主の内藤忠勝により刺殺。永井尚長には嗣子が無かったため所領は没収され改易。しかし弟の永井直圓に大和国新庄一万石が与えられ、永井氏宗家は大名として存続が許されました。1863年、八代藩主の永井直壮が幕府による文久の改革の一端である参勤交代制度緩和を受けて櫛羅に新設したのが櫛羅陣屋で、櫛羅藩を立藩します。その後、廃藩置県を迎えるまで永井氏が藩主を務め、1873年に破却されました...2023/01/09 19:05 しろぷろ
布施城:「道の駅かつらぎ」の近くから車で10分くらい上がったところに獣除けのフェンスがありますがそこが登城口です。フェンスを開けて、(開けたら閉めてね)少し歩くと「布施城まであと900メートル」の看板があり、そこからが本格的な山道になりますが凄いです悪路です。特に残り100メートルのところは完全なる藪こぎでした。しかし、その分本丸跡に到着した時の嬉しさはすごいです。虎口跡に遺構の説明と城の縄張り図のがあることや100メートルおきに「布施城まで○○メートル」という看板があることはまだありがたいです。登城道から外れて遺構を見に行く際には気をつけて!城郭攻略情報
2025/03/31 11:58
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大和葛城山登山で。(❜18・6攻略)2023/05/28 11:39
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小殿バス停城主争い
来月度の城主争い戦況
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2位 【D】下邨中納言景勝さん 88回
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櫛羅陣屋の周辺スポット情報
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攻略数:城
家臣団:人異名:個
官位:個ユーザー名タップで詳細表示 報告