波賀城(はがじょう)は、兵庫県宍粟市波賀町にあった城である。
概要
地元の波賀氏が築城し、のち武蔵国秩父郡から西遷した中村氏の居城となった。
波賀町の中心部、上野の東方の尾根頂上に築かれている。山陽道や日本海側を結ぶ因幡街道や、それと千種を結ぶ街道、三方に通じる街道を眼下に望む要衝に位置している。
山頂の主郭を中心に、北4箇所、東1箇所、南6箇所に郭が配されている。ほとんど独立した山に築かれたために麓から本丸までの距離が短く、途中に多くの「郭」を作って縦深をとっている。また、西側の小山(古城)にも砦を築き、一体となって敵陣を防ぐ工夫をしている。
平成3年度の発掘調査により、北郭で石垣や石段を有する通路遺構などが確認された。復元された城の石垣は、中世と近世の中間的な特徴を持ち、全体の縄張りとともにこの城が過渡期のものであることを示す重要な遺構となっている。
山上には二層櫓が再現されている。
名馬の伝説
11世紀の初めの頃まで、この地域は伯可荘(はかのしょう)として石清水八幡宮の荘園となっていた。この地には有名な名馬の伝説がある。
「その昔、芳賀七郎という武士がおりました。彼は素晴らしい馬を飼っていましたが、ある時そのことが都にまで聞こえ、その名馬を献上せよとの命令が届きました。七郎は名馬を惜しんでそれに従わなかったので、合戦になりました。彼は「馬隠しの穴」に馬を隠していましたが、とうとう力尽きて戦死してしまいました…」
伝説の芳賀氏は、伯可荘の有力者であったと思われ、ここに初めて城を築いたのも、この一族であったものと推測される。
中村氏・大河原氏
13世紀の中ごろ、地頭としてこの地に移って来たのが中村氏や大河原氏である。彼らは鎌倉幕府の御家人で、秩父(埼玉県秩父郡)を本拠地とした秩父丹党、丹治氏の一族である。
中村氏は初代光時から、戦国時代末期の吉宗まで、20代にわたって波賀城主であったといわれている。波賀城を修理・拡張し、これを拠点にして赤松氏などの支配下で勢力を維持したものと思われる。
交通
・JR・山陽電車・バス
JR/山陽本線・新幹線「姫路駅」下車。
姫路から神姫バスで林田経由または四辻経由戸倉行きに乗車。
上野バス停下車。所要時間:約1時間30分。
・中国道高速バス
大阪から、JR・神姫バス(中国道高速バス)で山崎インター下車、戸倉行き神姫バス乗継ぎ、上野バス停下車。所要時間:2時間30分。
・マイカー
中国自動車道/山崎インターから約35分。
国道2号線/姫路青山より国道29号線を北上、約1時間。
参考文献
・波賀城史蹟公園パンフレット。
・『郷土の中世山城』パネル展パンフレット。
提供:宍粟市教育委員会