名称(よみ) | 湯原館(ゆはらだて) |
通称・別名 | 湯原城、湯ノ原館 |
所在地 | 宮城県刈田郡七ヶ宿町字町裏 |
天気情報 |
11/22(金) 降水確率:50% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
分類・構造 | 連郭式山城 |
築城主 | 不明 |
築城年 | 戦国時代 |
主な城主 | 横尾氏、石川氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、移築門 |
再建建造物 | 説明板 |
2024/03/17 07:31 雲龍斎隠遁守全長
志田館:案内板の後ろ小川の対岸にある見事な山城16代伊達輝宗が陣した城館。ここから最上氏に対し出馬したと伝わる。志田館は、陸奥との国境、街道筋にあったため、歴史的にも文化的にも重要な位置を占めていた。東西南北がほぼ見渡せる格好の地に構築されており、山を囲むような形で屋代やしろ川が流れ、大滝おおたき川を分岐しているので天然の防御形態をなしている。 主郭を中心に鶴翼のように細尾根に段曲輪を設けてある。主郭の切岸は高く、虎口には石積み、左翼には堀切が3本と中々見応えのある城ただし、登城路はあやふやで直登、川を渡るか、大きく迂回するかしないとたどり着かない。それでも価値ある城跡である。
2019/09/26 08:47 野呂利左衛門督休三
湯原館:延宝年間(1673-1680)に仙台藩から幕府に提出された「仙台領古城書上」には「湯原城」と記載されているとのこと。また横尾氏が住んでいたことが記されてもいますが、これの30年ほど前の正保元(1644)年に、湯原は伊達家一門筆頭の角田石川家に与えられ、城には同家から派遣された家臣が詰めていました。その石川家家臣の家から「刈田郡湯原城絵図」が見つかっていますが、絵図を北を上にして見たときの左上に、慶長五(1600)年に伊達政宗が横尾元篤に再建を命じて、二年後の慶長七年に竣工した際に「勝乗館(しょうじょうたて)」の名前を与えたと記されているとのことです。城のある地域は御館(おだて)と呼ばれているそ...
来月度の城主争い戦況
1位 あんちゃん釆女正ぷ〜太郎さん 197回
2位 黒内匠允松山さん 124回
3位 二駆離出羽守かんさん 116回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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