松尾寺城(まつおでらじょう)

松尾寺城 投稿者:ひろゆきさん

城郭基本情報

名称(よみ) 松尾寺城(まつおでらじょう)
所在地 大阪府和泉市松尾寺町
天気情報

12/22(日) 降水確率:40%
8℃[-4]4℃[+2] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
分類・構造 山城
築城主 松尾寺門徒
築城年 南北朝時代
主な城主 松尾寺門徒
遺構 曲輪、石垣
松尾寺城は、大阪府和泉市松尾寺町にある天台宗の寺院・松尾寺に構えられた城館である。

松尾寺は、天武天皇元年(672年)に役小角が当地で7日間修法し、霊木を得て如意輪観音を彫り、小堂を建てて安置したことに始まる。その後泰澄が中興し、熊野権現、蔵王権現、白山権現を勧請した。

平安時代に当寺に住んでいた河内国の僧尋祐にまつわる奇瑞が『日本往生極楽記』や『今昔物語集』などに記されている。鎌倉時代には源頼朝が祈祷所として保護している。

松尾寺の最盛期は南北朝時代から室町時代であり、寺領7,000石、寺坊300余名、僧兵は数千人を数えたという言い伝えが残っているが、それを裏付ける文書等は現在のところ発見されていない。また、南朝との関係が深く、延元元年(1336年)後醍醐天皇綸旨によって祈祷所となり、以後も南朝から度々祈祷を命じられていたという。南北朝統一後は足利義満他代々の室町幕府将軍も祈願所として寺領安堵を行ったとされる。

天正5年(1577年)には織田信長から禁制が出され、松尾寺の保護が約束された。しかし、天正9年(1581年)には信長による高野山攻めの際に攻撃を受け、松尾寺を含む阿弥陀山諸堂を丸ごと焼き払われた。

慶長7年(1602年)、豊臣秀頼による金堂の寄進などにより再興が行われた。

江戸時代には13の塔頭があったが、明治の廃仏毀釈によって明王院と宝瓶院以外は廃絶した。

本解説文(基本情報を除く)は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「松尾寺 (和泉市)」を素材として二次利用しています。

城郭口コミ


2024/08/20 16:31岩五郎
松尾寺城:和泉市の山寺、半分以上が宅地化されて雰囲気を味わえるスペースは減っていますが、それでもかつては城の役割を果たしていた様子が感じられます。お城とは関係ないですが、お寺に登る手前、バス停そばにある樹齢800年超の大楠は見ものです。

2023/04/03 23:32宇喜多摂津守左近衛少将
松尾寺城:この時期は、桜が綺麗です。和泉中央駅から、歩くと一時間くらい、運動にはちょうどいいです。

城郭攻略情報


2024/10/19 14:42
丹後守炒飯餡掛之丞大盛
雨に降られたので登るのは断念、松尾寺公園のところでリア攻めしました
2023/12/17 17:28
(*¯ ³¯)っ旦
JR・南海電車南海本線の沿線攻略で泉北高速、南海電車高野線に用事のない方はJR「和泉府中駅」南海電車「泉大津駅」から和泉中央駅まで頻繁にバスが出ています。和泉中央で下車した後、弘法寺まで15分くらい歩いた少し先の斜め三叉路で攻略。
2023/11/23 15:50
参議うっちぃ
先人の方の情報通りです。和泉中央駅の西出口を出てエスカレーター上がって突き当たりを左に曲がって、エコールいずみとアムゼモールを突き抜けてそのまま高架渡って和泉シティプラザの前を右に曲がって突き当たりを左折。その先のトンネル抜けて橋を渡ったあたりで攻略です。片道5分ちょっと。途中迷うケ所もなくおすすめルートです。
2023/10/28 23:20
星野大宰少弐勘左衛門
先人の口コミを参考にしたものの、マックくら寿司を左手に見ながら郵便局側の歩道を歩くも立志館ゼミナール和泉中央校を過ぎても全然取れず。石尾中学校東の交差点で右手に曲がり、バス停石尾山を過ぎてすぐの信号でやっっと取れました……徒歩20分ぐらいかかったと思います。(UQMOBILEのau回線)帰りは南海バス石尾山→和泉中央駅まで戻りました。
2023/08/01 09:19
九曜紋東市正
泉北高速鉄道の泉中央駅駅で下車、改札を出た後、建屋内の階段を昇り、とにかく南へ歩く。エコールいずみの中のアムゼモール→泉中シティープラザを抜け、桃山学院大学方向へ、途中の府道223号の手前で攻略。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 Aki関白さん 133

 2位 ダイアイ河内守さん 90

 3位 りゅういちさん 51

松尾寺城の周辺スポット情報

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 尾崎稲荷大明神(寺社・史跡)

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