久宝寺城(きゅうほうじじょう)

久宝寺城 投稿者:多雨式部少輔古墳さん

城郭基本情報

名称(よみ) 久宝寺城(きゅうほうじじょう)
通称・別名 (久宝寺寺内町)
所在地 大阪府八尾市久宝寺6-6
天気情報

11/22(金) 降水確率:20%
16℃[+1]9℃[-1] 詳細

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問い合わせ 八尾市教育委員会文化財課[電話
分類・構造 平城
築城主 畠山家国
築城年 不明
主な城主 渋川(畠山)氏、安井氏
遺構 消滅
再建建造物 石碑、説明板

久宝寺寺内町 

顕証寺を中心として発展した寺内町。平野から八尾を抜けて信貴山や奈良方面へ至る街道の中継地点にあたり、かつては在郷町としてにぎわった。

寺内町の興りは、戦国時代に蓮如が西証寺を創建したことに始まる。それ以前はこの地の土豪で畠山氏を祖とする安井氏が屋敷地に環濠を巡らせて支配していた。文明2年(1470年)に蓮如がこの地で本格的に布教活動を始めたが、当初は慈願寺を拠点としていた。文明11年(1479年)に「西証寺」を創建した。安井氏も創建に協力し、環濠を二重にして防御を厳重にするなど、寺内町の様相となり、戦国時代における一向宗の拠点のひとつとなった。

戦国時代から江戸時代にかけて多くの門徒衆や商人が集まり、地域の中心として賑わった。

かつて周囲に張り巡らされた環濠や土居は現在も一部に名残りをとどめている。碁盤目状の町割りはほぼ当時の状態をとどめており、域内の道は一方通行が多かったり入り組んだりしており、土地鑑がないと迷いやすい。主要道路は東西に7本、南北に6本で構成され、東西の道路は北から大手町通り、米屋町通り、馬追町通り、表町通り、中之町通り、慈願寺通りと呼ばれた。このうち表町通りがかつての八尾街道の道筋にあたる。「久宝寺寺内町みんなで作る燈路まつり」で令和元年度国土交通省手づくり郷土賞受賞。

久宝寺城址 

畠山満基の長子、渋川満貞の居城であったと伝えられている。満貞の嫡子の光重の時代に安井と改姓し、定重の時代に織田信長に仕えたが、石山合戦の時に顕如が率いる本願寺の僧兵に攻められ城は陥落した。城址は寺内町の北西あたりにあったとされ、小字城土居の地名として残っていた。

本解説文(基本情報を除く)は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「久宝寺」を素材として二次利用しています。

城郭口コミ


2023/08/13 16:05通天閣人
久宝寺城:石碑しか残っていないですが、感慨深いです。

2022/11/20 17:56ファン掃部助トム治郎
久宝寺城:久宝寺駅から寺内町を散策しながらゆっくり30分。環濠集落の町割りがいまも残り、本願寺に滅ばされた久宝寺城よりも顕証寺の砦という印象が強かったです。

城郭攻略情報


2024/04/28 18:31
右衛門尉大和縄
JR久宝寺駅で攻略
2024/02/24 08:21
左衛門佐羽柴の若武者稲荷
久宝寺口駅で攻略
2023/06/11 17:24
あざらし肥前守
八尾市久宝寺、許麻神社、久宝寺御坊顕証寺。(❜17・12攻略)
2023/05/28 14:13
cookey式部卿
久宝寺駅
2023/05/25 19:01
池田紀伊守信輝
近鉄大阪線久宝寺口駅にて攻略可能docomo

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 みゅう民部卿みゅうさん 146

 2位 もものすけ讃岐守さん 134

 3位 武田河内守晴信さん 103

久宝寺城の周辺スポット情報

 稲城址(碑・説明板)

 久宝寺城碑(碑・説明板)

 久宝寺寺内町(周辺城郭)

 渋川城(周辺城郭)

 三好長慶・義継墓所(寺社・史跡)

 久宝寺縁地(関連施設)

 

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