比自山城(ひじやまじょう)

 
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城郭基本情報

名称(よみ) 比自山城(ひじやまじょう)
通称・別名 比自山砦
所在地 三重県伊賀市長田字比自山
周辺の宿
天気情報

04/17(金) 降水確率:20%
21℃[+1]10℃[±0] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 伊賀上野観光協会[電話
分類・構造 山城
築城主 福喜多将監・百田藤兵衛
築城年 天正9年(1581)
主な城主 福喜多将監・百田藤兵衛
遺構 曲輪、土塁、堀切
再建建造物 説明板
※この城郭は2026年4月6日に名称と位置が変更となりました。


城郭口コミ


2025/01/12 22:35ᴿᴱᴰ副将軍
比自山城:第二次天正伊賀の乱における最大の激戦地⚔⁡オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎⁡1581年の第二次天正伊賀の乱において伊賀衆が織田信長を迎え撃つために築いた陣城。織田信長は石山本願寺との講和が成立すると、伊賀衆の平定に乗り出し45,000の兵を率いて伊賀に侵攻。北伊賀の伊賀衆は百田藤兵衛の呼びかけで平楽寺で評定を開き、降伏せず最終的に迎え撃つことを決定。突貫工事で比自山にあった比自山観音寺を陣城に改修したとされます。比自山に城を築いたことを聞いた蒲生氏郷は滝川一益や丹羽長秀の到着を待たず攻撃を開始。いわゆる比自山の戦いです。筒井順慶と筒井定次の父子は大手から突撃するも数多の石矢を浴び敗走。搦手からの侵攻...

2024/04/06 10:54近江守Silvine
比自山城:比自山城は第二次天正伊賀の乱において、伊賀平定を狙う織田信雄に攻められた一揆勢が立て籠った城です。元々は寺院だった場所に突貫工事で築かれたと言われ、ここにおよそ3000人が籠城し、激しく抵抗を繰り広げました。その後、織田軍の総攻撃を前に一揆勢は柏原城へ逃亡。その地で最後の戦いを迎える事になります。南北のピークに郭があり、そこに挟まれた窪地の平坦地が主郭となっています。南北の郭は複数の堀や土塁に囲まれています。また、かつて寺院だった痕跡として、犬走りには石塔や石仏が散乱しています。主郭部は背丈を超えるほどの酷い藪でその先に進む事は困難な状況です。城域は広く、整備されていない為しっかり現在地を確認...

城郭攻略情報


城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 佐藤ねこりん伊勢守さん 45

 2位 miyabi616さん 32

 3位 重蔵さん 29

 

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