木造城(こつくりじょう)

木造城 投稿者:鈴久播磨守雅元さん
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00時間

15

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城郭基本情報

名称(よみ) 木造城(こつくりじょう)
通称・別名 木造御所
所在地 三重県津市木造町字城
天気情報

07/04(金) 降水確率:30%
32℃[+2]26℃[+1] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 津市教育委員会事務局[電話
分類・構造 平城
築城主 北畠顕俊
築城年 正平21年〔南朝〕/貞治5年/(1366)
主な城主 北畠氏
遺構 曲輪、土塁
指定文化財 市史跡(木造城阯)
再建建造物 石碑、説明板
雲出川北岸、木造集落の北側の平地にある。鎌倉時代から室町時代の頃は、初めは平家領、のちに京都久我家の荘園になり、北畠氏の一族が代官を務めていたこともある。

応永22年(1415)北畠満雅の蜂起に際しては弟雅俊が城を守り、幕府追討軍に攻め落とされると幕府方の北畠俊泰が入り、のち、木造氏を名乗ったという。

明応元年(1497)北畠氏の内部抗争により落城し、和平後の享禄元年(1528)木造正宗により新たに城が造られ、古城は寺院興正院に転用された。

永禄12年(1569)の織田信長の伊勢侵攻には木造氏は信長方につき、弟信雄に仕えた。天正12年(1584)信雄と豊臣秀吉が対立すると、秀吉方の蒲生氏郷に攻められる。木造氏一族は西方の戸木城に集結して籠城戦となる。天正14年の信雄と秀吉の和平後、木造氏は北勢の田辺城(北勢町)に移った。

城跡は、木造集落の北の畑に古城の大きな土塁の一部が残り、さらに北方の新城の一部にあたる小高いところに「木造城址」の石碑が建てられている。

「勢州一志郡木造之図 天正十二落居之頃」(木造 引接寺蔵)には、集落全体が長方形に堀で囲まれ、北端の内堀の中に居館、その西側に家臣柘植三郎左衛門の大きな屋敷が描かれる。ほかの家臣の屋敷地も多数見られ、寺院、市場、鍛冶などもある。

現在は田畑、住宅地になるが、それでも路地や水路に当時からの地割りがよく残る。

情報提供:津市教育委員会



城郭口コミ


2025/06/08 22:29中務少輔RedKing
木造城:桜が散って、田植えが終わり、紫陽花の頃、草が茂ってからの登城となりました。既に口コミ多数の城址碑や立派な御影石製由緒書やステンレス製説明板が隠れてしまいました。R23中勢BP木造ランプから真東に真っ直ぐ伸びる舗装路、右手小高い雲出川右岸の集落内に古城があったようです。100mも行った交差点に案内標識があります。この道の数km先には、旧香良洲町の大デルタが広がっていると思うと、中世の堤無し逆流防止水門無し機械排水無しの時代は輪中ではなく泥沼か砂浜だったのでしょうか。津城北の安濃川から松阪城北の阪内川の間の伊勢湾に注ぐ広大な沖積平野は肥沃な田圃か、池沼か。いずれにせよ鈴鹿山脈に東風が吹き付ける台風...

2025/01/19 16:05彦千代
木造城:近鉄桃園駅より徒歩約30分弱、途中二箇所ほど標識有り、道は分かり易いです、広い畑の真ん中に土塁が忽然と残っており、よくぞ残してくれたと感激です、案内板と立派な城趾碑が有り、名族子造氏の夢の果て、感慨深いものがありました。

城郭攻略情報


2024/12/21 10:44
ヒイワレヒコ
近鉄伊勢中川駅で攻略できました。
2023/06/19 01:29
あざらし肥前守
津市高茶屋小森町、イオンモール津南。(❜17・12攻略)
2023/05/27 16:56
cookey式部卿
南が丘駅
2023/04/08 10:11
よっしっし左近衛中将
近鉄南ケ丘駅にて攻略できました。
2021/12/17 14:15
カモメ
ボートレース津にて

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 ゆ旅さん 33

 2位 高虎さん 26

 3位 羽根羅列太左衛門督さん 20

木造城の周辺スポット情報

 古城土塁(遺構・復元物)

 池ノ谷砦(周辺城郭)

 木造赤坂遺跡(寺社・史跡)

 

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