木造城(こつくりじょう)

木造城 投稿者:能登守ヘカテーさん

城郭基本情報

名称(よみ) 木造城(こつくりじょう)
通称・別名 木造御所
所在地 三重県津市木造町字城
天気情報

05/03(金) 降水確率:10%
21℃[+1]13℃[-1] 詳細

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問い合わせ 津市教育委員会事務局[電話
分類・構造 平城
築城主 北畠顕俊
築城年 正平21年〔南朝〕/貞治5年/(1366)
主な城主 北畠氏
遺構 曲輪、土塁
指定文化財 市史跡(木造城阯)
再建建造物 石碑、説明板
雲出川北岸、木造集落の北側の平地にある。鎌倉時代から室町時代の頃は、初めは平家領、のちに京都久我家の荘園になり、北畠氏の一族が代官を務めていたこともある。

応永22年(1415)北畠満雅の蜂起に際しては弟雅俊が城を守り、幕府追討軍に攻め落とされると幕府方の北畠俊泰が入り、のち、木造氏を名乗ったという。

明応元年(1497)北畠氏の内部抗争により落城し、和平後の享禄元年(1528)木造正宗により新たに城が造られ、古城は寺院興正院に転用された。

永禄12年(1569)の織田信長の伊勢侵攻には木造氏は信長方につき、弟信雄に仕えた。天正12年(1584)信雄と豊臣秀吉が対立すると、秀吉方の蒲生氏郷に攻められる。木造氏一族は西方の戸木城に集結して籠城戦となる。天正14年の信雄と秀吉の和平後、木造氏は北勢の田辺城(北勢町)に移った。

城跡は、木造集落の北の畑に古城の大きな土塁の一部が残り、さらに北方の新城の一部にあたる小高いところに「木造城址」の石碑が建てられている。

「勢州一志郡木造之図 天正十二落居之頃」(木造 引接寺蔵)には、集落全体が長方形に堀で囲まれ、北端の内堀の中に居館、その西側に家臣柘植三郎左衛門の大きな屋敷が描かれる。ほかの家臣の屋敷地も多数見られ、寺院、市場、鍛冶などもある。

現在は田畑、住宅地になるが、それでも路地や水路に当時からの地割りがよく残る。

情報提供:津市教育委員会



城郭口コミ


2024/02/25 04:12サクラ十勝守青鬼翼徳
木造城:天守の残るお城とは違いますがその立地や環境、周囲が沼地であった事、近くには雲出川が流れる事etcをイメージすると、広く見渡せる景色にワクワクが止まらなくなります。

2022/05/26 11:54RED副将軍
木造城:北畠三家のひとつ、木造氏の居城🏯⁡オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⁡1366年、北畠氏一族の北畠顕俊によって築城。木造氏を名乗り居城としました。木造氏は、大河内氏、坂内氏とともに北畠三家と呼ばれる重臣です。二代木造俊康は、足利将軍と親しく北朝方に付き、本家北畠氏の南朝方と対立。1569年、織田信長の伊勢侵攻の際は、織田信雄が北畠氏の養子となり家督を嗣ぐことで和解。養子を迎えるとは聞こえが良いですが、事実上の家督乗っ取りです。木造氏も織田信雄に従いました。織田信長が本能寺で没すると、1584年には羽柴秀吉の命で蒲生氏郷が南伊勢を支配し松ヶ島城に入城。しかし、当主の木造具康は蒲生氏郷への臣従を拒み対...

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城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 内記たっくんさん 18

 2位 伊勢乃國小町御前さん 18

 3位 山下伊勢守奉文さん 14

木造城の周辺スポット情報

 古城土塁(遺構・復元物)

 池ノ谷砦(周辺城郭)

 木造赤坂遺跡(寺社・史跡)

 

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