采女城(うねめじょう)

城郭基本情報

名称(よみ) 采女城(うねめじょう)
通称・別名 北山城
所在地 三重県四日市市釆女町字北山
天気情報

11/22(金) 降水確率:20%
18℃[+1]8℃[-1] 詳細

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問い合わせ 四日市観光協会[電話
分類・構造 連郭式平山城
築城主 後藤基秀
築城年 文応元年(1260)
主な城主 後藤氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、土橋、枡形虎口、井戸
再建建造物 石碑、説明板
采女城(うねめじょう)は三重県四日市市釆女町にあった城である。北山城ともいう。

遺構 

足見川と内部(うつべ)川の合流地点の北方、標高約70mの丘陵上に位置する。

放射状に伸びる丘陵の尾根上に8つの曲輪を配し、それぞれの曲輪間は空堀や堀切で隔てられている。曲輪群の中心にある最も広い場所が主郭にあたり、その周囲は土塁に囲まれている。また北西隅には櫓台と推定される規模の大きい土塁が確認できる。

城内に残る空堀は幅約10m、深さ約5mに及ぶ巨大なものもあるほか、高さのある土塁や枡形状の虎口など、数多くの遺構が現存している。

歴史 

文応元年(1260)、後藤基秀が三重郡釆女郷の地頭となって一族郎党とともに移り住み、釆女山(北山)に築城したのが始まりという。他に、文治3年(1187)に後藤基清が築城したとする説もある。

その後、後藤家15代300年の居城として栄えたが、永禄11年(1568)に織田信長の家臣・滝川一益の攻撃を受けて落城、時の城主・後藤釆女藤勝は自害して果てた。

落城の際に、藤勝の妻や娘が身を投げたといわれる井戸が主郭に残っている。

交通 

・四日市あすなろう鉄道内部線内部駅から徒歩約15分

参考文献 

・『日本城郭大系 第10巻』新人物往来社、1980年。
・采女城跡現地説明板。
・『戦国の城を極める 廃城をゆく5』イカロス出版、2017年。
・『週刊日本の城』デアゴスティーニ・ジャパン、2013年。


城郭口コミ


2024/07/06 11:55図書頭RedKing
采女城:内部川左岸河岸段丘の道沿いに石碑や説明看板があって、門から登城できます。地元の皆さんの整備のお陰で、迷うこともなく園地を巡れます。下流の南東方向の立派なPC橋はR25で、東海道をなぞっていて、左手の四日市追分方から右手の亀山、京都方へ勾配も登っていきます。もう一枚の対岸側の写真は、概ねその昔の国府のあった方向です。今も昔も大動脈です。神話の頃に日本武尊が伊吹山で戦闘後に難儀して、亀山の能褒野に至る途中に当たり、杖を衝いた坂と言う旧跡が、先ほどのR25の近くにあります。全く別件ですが、うちの近所にも同様の伝承から、杖突坂と漢字は異なりますがあります。勿論、その昔に行基様や西行法師、壬申の乱もあっ...

2024/06/21 12:38はるお
采女城:雨の後で、クモの巣だらけでたいへんした。

城郭攻略情報


2024/10/26 18:08
左衛門督景虎
車で国道1号線下大久保町交差点付近で攻略できました。
2024/08/17 10:00
天叢雲修理大夫風歌
ファミリーマート四日市おごそ東店で攻略
2024/04/30 22:10
rigret
JR関西本線、河曲駅では不可。河原田駅にて攻略。
2024/01/26 20:12
高槻べろく
名古屋方面から快速みえ号に乗り、2両の列車が完全に南四日市駅を通り過ぎた地点で攻略。
2023/09/15 10:18
上尾堀の内
椿大神社行きのバスに乗車中、四日市あすなろう鉄道八王子線の西日野駅を通過時に菰野城と同時攻略!

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 ひーやんさん 191

 2位 ふじさんさん 85

 3位 大宰大弐たろすけさん 83

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