采女城(うねめじょう)

采女城 投稿者:美濃守ヒーローさん

城郭基本情報

名称(よみ) 采女城(うねめじょう)
通称・別名 北山城
所在地 三重県四日市市釆女町字北山
天気情報

05/10(金) 降水確率:10%
22℃[+2]9℃[-2] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 四日市観光協会[電話
分類・構造 連郭式平山城
築城主 後藤基秀
築城年 文応元年(1260)
主な城主 後藤氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、土橋、枡形虎口、井戸
再建建造物 石碑、説明板
采女城(うねめじょう)は三重県四日市市釆女町にあった城である。北山城ともいう。

遺構 

足見川と内部(うつべ)川の合流地点の北方、標高約70mの丘陵上に位置する。

放射状に伸びる丘陵の尾根上に8つの曲輪を配し、それぞれの曲輪間は空堀や堀切で隔てられている。曲輪群の中心にある最も広い場所が主郭にあたり、その周囲は土塁に囲まれている。また北西隅には櫓台と推定される規模の大きい土塁が確認できる。

城内に残る空堀は幅約10m、深さ約5mに及ぶ巨大なものもあるほか、高さのある土塁や枡形状の虎口など、数多くの遺構が現存している。

歴史 

文応元年(1260)、後藤基秀が三重郡釆女郷の地頭となって一族郎党とともに移り住み、釆女山(北山)に築城したのが始まりという。他に、文治3年(1187)に後藤基清が築城したとする説もある。

その後、後藤家15代300年の居城として栄えたが、永禄11年(1568)に織田信長の家臣・滝川一益の攻撃を受けて落城、時の城主・後藤釆女藤勝は自害して果てた。

落城の際に、藤勝の妻や娘が身を投げたといわれる井戸が主郭に残っている。

交通 

・四日市あすなろう鉄道内部線内部駅から徒歩約15分

参考文献 

・『日本城郭大系 第10巻』新人物往来社、1980年。
・采女城跡現地説明板。
・『戦国の城を極める 廃城をゆく5』イカロス出版、2017年。
・『週刊日本の城』デアゴスティーニ・ジャパン、2013年。


城郭口コミ


2024/04/13 17:37在来線男右京進
采女城:回りが住宅地になりつつありますが、あまり開発の手が加わっていない城趾です。登城口はわかりやすいですが、道はあまり広くなく1人がやっと通れるくらいです。見応えはあります。曲輪や空堀、虎口などよく残っています。

2024/03/05 07:49みその対馬守
采女城:トイレは無いが駐車場の空き地あり。登城口も分かりやすく、城内も整備されています。堀切、土塁の数と大きさに、圧倒されます。皆さん是非行ってください。ここは、おすすめです♪。

城郭攻略情報


2024/04/30 22:10
rigret
JR関西本線、河曲駅では不可。河原田駅にて攻略。
2024/01/26 20:12
高槻べろく
名古屋方面から快速みえ号に乗り、2両の列車が完全に南四日市駅を通り過ぎた地点で攻略。
2023/09/15 10:18
上尾堀の内
椿大神社行きのバスに乗車中、四日市あすなろう鉄道八王子線の西日野駅を通過時に菰野城と同時攻略!
2023/07/02 03:10
あざらし肥前守
四日市市釆女町、杖衝坂。日本武尊命に関連して、三重の地名由来になった場所という伝承がある。
2022/03/27 16:43
よっしっし左衛門督
JR河原田駅にて。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 ひーやんさん 68

 2位 大宰大弐たろすけさん 53

 3位 ふじさんさん 43

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