名称(よみ) | 新城城(しんしろじょう) |
通称・別名 | 新城陣屋 |
所在地 | 愛知県新城市字東入船 |
天気情報 |
08/01(金) 降水確率:50% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 新城市教育委員会設楽原歴史資料館[電話] |
分類・構造 | 平城 |
築城主 | 奥平信昌 |
築城年 | 天正3年(1575) |
主な城主 | 奥平氏、水野氏、菅沼氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 市史跡(新城城跡) |
再建建造物 | 石碑、説明板 |
2025/07/25 23:11 尾張守たまきち
石田城:天正18年(1590年)頃に、吉田城主:池田輝政の家老:片桐一長によって築城。単郭の城で、南側を流れる豊川と野田川の合流する段丘端に築かれた。片桐一長には嫡子がおらず、石田輝政の子長政を養子に迎えていた。『愛知県中世城館跡調査報告』によれば、近くにある新城城と石田城が同時期に機能していたのは隠居城あるいは嗣子の居城としていたからとされている。 現地を訪問したところ、北から東にかけて大規模な土塁と横掘を巡らせており、遺構が見事に残っていました。一見の価値有り。
2025/07/22 22:25 尾張守たまきち
新城古城:天文元年(1532)に菅沼定継によって築城。その後、定継が田峯城へ移ると、弟の定氏が城主となる。また、1562年(永禄5年)に起きた「石田合戦」の舞台としても知られ、定氏らはこの合戦で今川方の軍勢を撃退するも、城の損傷が激しかったため、新たに端城城を築いて移り、廃城となる。なお、のちに奥平貞昌が新城城を築いたため、これと区別するために「新城古城」と呼ばれている。現地を訪問しましたが、城地の多くは畑や宅地となっていました。「大正2年までは豊川に面した場所以外に土塁が3方に巡っていたとされ、現在は東側の幽玄川に面した箇所に高さ30センチメートル程度で長さ30mほどの土塁状の高まりが認められる。」と...
来月度の城主争い戦況
1位 さらさん 1回
2位 おいちゃんさん 1回
3位 あいうさん 1回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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