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| 通称・別名 | (大浜陣屋) | 
| 所在地 | 愛知県碧南市羽根町1 | 
| 天気情報 | 
 11/01(土) 降水確率:20% | 
| 地図 | マップ/周辺の城/NaviCon | 
| 問い合わせ | 碧南市教育部文化財課[電話] | 
| 分類・構造 | 平城 | 
| 天守構造 | なし | 
| 築城主 | 徳川家康 | 
| 築城年 | 天正4年(1576) | 
| 主な改修者 | 水野忠友(陣屋) | 
| 主な城主 | 長田重元、永井直勝、水野氏(陣屋) | 
| 遺構 | 消滅 | 
| 再建建造物 | 石碑(陣屋址)、説明板 | 

2025/10/13 09:54 尾張守たまきち
    西端藩陣屋:元和2年(1616年)酒井忠次の次男である康俊が、三河伊那城主の本多忠次の養子に入って本多康俊となり、その次男の本多忠相が西端村などに千石余りを領して旗本となったのが西端陣屋の始まりとなる。忠相は1000石の所領から始まったが、加増を重ねて徳川家光が将軍となった時は8000石の上級旗本であった。その後、子孫の代にも加増があり、元治元年(1864年)十代目の本多忠寛の時に石高1万500石となり西端藩が設立された。西端藩は忠寛の嫡男忠鵬が跡を継いだが、忠鵬は戊辰戦争で新政府に与した為に西端陣屋は新政府軍の兵舎となり、廃藩置県を迎えた。現地を訪問したところ、宅地化されており、遺構は無く、解説板等もあ...
2025/10/11 16:03 尾張守たまきち
    東端城:築城年は不明。安城松平家が水上交通の拠点としており、松平信忠のころに整備された。1576年(天正4)以降、碧南市羽城の長田重元の子:尚勝を城主とし、1584年(天正12)に、小牧・長久手の戦いで池田恒興を討ち取る功績のあった尚勝の弟直勝が、1000石を加増されて城主となる。徳川家康の関東移封に従って多くの家臣団が関東へ移住するが、直勝は姓を永井に改めて永井伝八郎直勝と名乗り、この地に留まり続けた。1617年(元和3)の大阪冬の陣でも活躍したことにより、常陸国笠間城32000石の城主となり転出しました。このとき東端城は廃城となった。現地は城山稲荷となっており、廃城後400年にわたり当時の曲輪の状...


 来月度の城主争い戦況
来月度の城主争い戦況
1位 みくみく右衛門督ばあ2さん 3回
2位 サクサク中務大輔忠勝さん 3回
3位 中務卿スーさんさん 2回

 
      
      
    
    | 攻略数:城 家臣団:人 | 異名:個 官位:個 | |
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