日比津城(ひびつじょう)

日比津城 投稿者:ナゴヤンさん

城郭基本情報

名称(よみ) 日比津城(ひびつじょう)
通称・別名 乾屋敷城
所在地 愛知県名古屋市中村区日比津4
天気情報

11/22(金) 降水確率:20%
17℃[±0]10℃[+1] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
分類・構造 平城
築城主 野尻氏
築城年 南北朝時代
主な城主 野尻氏
遺構 消滅
再建建造物 石碑(日比津城主御菩提所)
日比津城は、南北朝時代に築かれた城であり、野尻氏の居城であった。

現在、大円寺一帯となっている場所が城跡とされる。だが大円寺の入口に「日比津城主御菩提所」の碑が立っているのみで、遺構などは特に残っていない。


城郭口コミ


2024/09/01 15:04尾張守たまきち
紺屋屋敷:吉岡次右衛門の屋敷跡。吉岡次右衛門は豊臣秀吉に召されて天満橋(大坂)に住み、染め物を家業とした。太閤朱印状の「五石こうや」とあるのが、この吉岡次右衛門という。紺屋屋敷は常泉寺の北西にあったといわれ、現在はそれを示すようなものは何も無く、中村公園の敷地内に当たります。常泉寺は秀吉公の生誕地とされていると事から、「幼い頃に世話になった近所のオジサン」が、大出世した物語が妄想されます。

2024/09/01 11:07尾張守たまきち
長嘯子屋敷:「長嘯子(ちょうしょうし)」は、豊臣秀吉の妻である北政所:ねねの甥にあたる木下勝俊が剃髪後に名乗った名前。ここは、その木下勝俊の屋敷跡。ねねの兄が勝俊の父∶木下家定。木下勝俊は、秀吉に仕えて若狭国後瀬山城主となり、関ヶ原合戦では東軍に属して伏見城を守備していたが、西軍が来襲する直前に城を退去し、戦後所領を没収された。その後、勝俊は剃髪し長嘯子と名乗って京都東山に隠居。和歌の道を歩んだ。歌文に優れ、多くの著書を残し、歌集「挙白集」は名高い。

城郭攻略情報


2024/11/13 19:36
しえる
ノリタケの森を散策中に攻略したようです♪♪
2023/06/22 19:09
あざらし肥前守
名古屋駅〜徒歩で中村公園に行く途中、正悦山妙行寺あたり。(❜17・12攻略)
2020/11/26 16:11
中務少輔たけちゃん
東海道新幹線で攻略できました‼️
2020/02/08 16:08
征夷大将軍クララ姫
名古屋駅にて安定攻略
2018/10/20 19:52
teru
東海道新幹線から攻略です❗

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 キム兄さん 187

 2位 若桜采女佑歌帆さん 153

 3位 さわっち図書助さん 116

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