堤本地城(つつみほんじじょう)

城郭基本情報

名称(よみ) 堤本地城(つつみほんじじょう)
通称・別名 堤城、本地城
所在地 愛知県豊田市堤本町根岸
天気情報

11/22(金) 降水確率:20%
16℃[-1]8℃[+2] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 豊田市教育委員会教育行政部文化財課[電話
分類・構造 丘城
築城主 畠山六郎
築城年 応永9年(1402)?
主な城主 畠山氏、本田氏
廃城年 応仁元年(1467)頃
遺構 曲輪、土塁?
再建建造物 石碑
堤本地城(つつみほんじじょう)は愛知県豊田市堤本町にあった城である。

遺構 

豊田市堤本町東側に広がる台地南先端部に位置する丘城である。周辺には自動車工場などが建ち並ぶ。

『愛知県中世城館跡調査報告Ⅱ(西三河地区)』によると集落のすぐ上に位置することから在地小領主の居館と考えられるとあり、規模はそれほど大きくなかったであろう。現在城跡は応神天皇と祭神とする八幡社の境内となっており、明瞭な遺構は確認することはできない。

ただし、南側から境内へ上る階段脇には「本地城址」の石碑が建てられており、そこに記された解説によると周囲に土塁の遺構が残るとされる。また、八幡社の由緒書きによると天正7年(1579)に当地に遷座したとあることから、現在の境内は堤本地城の郭跡をそのまま利用したとも考えられる。

なお、同地には城塚古墳という円墳が残されているが発掘調査により7世紀後半のものと判明し、城との直接的な関係はないと見られている。

歴史 

『高岡町誌』によると、南北朝期に尾張守護であった畠山氏の一族畠山六郎が応永9年(1402)頃に築いたとされ、その後は安祥(安城市)の本田氏の領するところとなったが、室町時代中期に廃城となったという。

交通 

・高岡ふれあいバス堤上町バス停から徒歩で約3分

参考文献 

・『愛知県中世城館跡調査報告Ⅱ(西三河地区)』愛知県教育委員会、1994年3月。
・『日本城郭大系 第9巻』新人物往来社、1980年。


城郭口コミ


2024/08/20 19:20RED副将軍
堤本地城:尾張国守護畠山氏一族の城跡🏯⁡オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎⁡築城年代等の詳細不詳。1402年頃に畠山六郎が築いたとされます。畠山六郎は尾張国守護である畠山家国の六男とされ、その後は安祥の本田氏の所領となりましたが、室町時代中期に畠山氏の滅亡とともに廃城となった様です。⁡見所現在は八幡社の境内となり城跡碑が階段下に建っています。小高い丘陵上にありますが遺構はほぼ消失。土塁が残るとのことですが分かりませんでした。

2024/06/27 20:273人のパパ右衛門督は単身赴任
堤本地城:駐車場有りません城跡の雰囲気は無いです。

城郭攻略情報


2024/11/03 13:29

刈谷市井ヶ谷町
2023/08/01 08:42
九曜紋東市正
名鉄三河線を、上拳母から竹村へ移動中、土橋と竹村間の、ほぼ中間地点辺りで攻略。
2023/06/23 06:49
あざらし肥前守
刈谷市井ケ谷町洲原、洲原公園。(❜17・12攻略)
2023/02/13 08:10

東名高速道路、豊田IC付近で挙母城、堤本地城、寺部城を同時に攻略
2023/01/29 10:02
おたかさん下総守
名鉄三河線の若林駅に到着する手前で高陸しました!!

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 とし之助さん 147

 2位 さかけんさん 116

 3位 ゆたこ加賀守主任さん 104

堤本地城の周辺スポット情報

 福谷城(周辺城郭)

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