| 名称(よみ) | 鎌田城(かまだじょう) |
| 所在地 | 静岡県伊東市鎌田 |
| 天気情報 |
12/20(土) 降水確率:60% |
| 地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
| 問い合わせ | 伊東市生涯学習課[電話] |
| 分類・構造 | 山城 |
| 築城主 | 不明 |
| 築城年 | 明応2年(1493)頃 |
| 主な城主 | 伊東氏、鎌田氏 |
| 遺構 | 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀 |
| 指定文化財 | 市史跡(鎌田城跡) |
| 再建建造物 | 碑、説明板 |
2025/09/29 21:58 マグロ常陸介祐平
伊東館:市長問題で話題の伊東市役所の敷地内の物見塚公園と、市役所北側の佛現寺が伊東氏館の伝承地となります。物見塚公園の石碑には、平安時代末期に藤原南家工藤氏が住みつき、鎌倉時代をへて戦国時代末期まで伊東氏はこの地と関わりがあり、伊東家館跡の伝承地は幾つかあるとしています。鎌倉時代には、日向に所領を得ますが、伊東の地を本領として居住し続け、室町時代に入り観応の擾乱で直義方に付き、伊東の本領を失ったようです。その後、九州に移らず留まった一族からは南朝方から北朝方に移り、駿河や甲斐に所領を持つなどし、北条早雲に仕えたことから、駿河や甲斐の所領は失いますが、先祖の地伊東に復帰しています。氏政の偏諱を受けた伊東...
2025/09/28 23:27 マグロ常陸介祐平
玖須美館:伊東八郎左衛門尉朝高の館と伝わります。館跡には朝高は、鎌倉幕府の命により伊東に流されていた日蓮の監視役を務めていたが、奇病にかかってしまい、家老の織部正清が川奈の岩屋から日蓮を館に移し、祈祷すると治癒したとされます。朝高の死後、館の一部に堂宇を建てたのが現在も続く佛光寺です。墓域には朝高の墓と家老織部正清の墓(後世のもの)が並んでいます。八郎左衛門尉朝高の名は伊東氏の系図で確認出来ませんが、日蓮の書簡に「伊東の八郎ざえもん、今はしなののかみげんにしにたりしを」とあることから、伊東祐時の6男で当主となった信濃守祐光(日向伊東氏の先祖でもある)と朝高は同一人物の可能性が高いものと思われます(論創社...
来月度の城主争い戦況
1位 駿河守009舵亥磨剣さん 72回
2位 犬山城最高さん 51回
3位 ヒロさん 43回
北端部?の堀切(遺構・復元物)
三重の堀切(遺構・復元物)
展望台(郭6跡)(遺構・復元物)
堀(遺構・復元物)
炭焼釜跡(遺構・復元物)
虎口(遺構・復元物)
曲輪(遺構・復元物)
登城ルート説明看板(碑・説明板)
宇佐美館跡石碑(碑・説明板)
金鉱跡(碑・説明板)
伊東館(周辺城郭)
宇佐美館(周辺城郭)
玖須美館(周辺城郭)
富戸崎台場(周辺城郭)
川奈崎台場(周辺城郭)
伊東祐親の墓(寺社・史跡)
富戸石丁場群(寺社・史跡)
伊東家墓所(寺社・史跡)
河津祐泰墓所(寺社・史跡)
曽我祐成•時致兄弟墓所(寺社・史跡)
元禄地震津波供養塔•仏現寺(寺社・史跡)
元禄地震津波供養塔•行蓮寺(寺社・史跡)
元禄地震津波供養塔•恵鏡院(寺社・史跡)
伊東朝高及び綾部正清墓所(寺社・史跡)
東海館(寺社・史跡)
奥野ダム駐車場(駐車場)
伊東東郷記念館(関連施設)
伊東市文化財管理センター(関連施設)
ハイキングコース入口(その他)
標識(その他)
湧水(その他)
分岐点(その他)
案内標識(その他)
登城口(その他)
分岐点(その他)
| 攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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