小丸城(こまるじょう)

小丸城 投稿者:あきおこさん

城郭基本情報

名称(よみ) 小丸城(こまるじょう)
所在地 福井県越前市五分市町
天気情報

05/13(月) 降水確率:60%
16℃[-7]12℃[-5] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 越前市観光振興課[電話
分類・構造 平城
築城主 佐々成政
築城年 天正3年(1575)
主な城主 佐々氏(織田氏家臣)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、虎口
指定文化財 県史跡(小丸城跡附野々宮廃寺跡)
再建建造物 石碑、説明板
五分市(ごぶいち)町の住宅地の北辺に小高い丘がある。約50メートル四方の、一部に石垣を持つ本丸跡で、その周囲が二の丸跡の平坦地となる。さらに基底約20メートル、高さ約10メートルの土塁に隅櫓が取り付き、幅20メートルの堀がこれを巡る。南方には、部分的に堀や土塁などの外郭施設も残り、関連遺構は東西300メートル、南北450メートルの広範囲に及ぶ。

付近に「小丸」や「北小丸」という字名が残り遺跡名となっているほか、「古城」「的場」「御館」「鉄砲町」などの字名からも、ある時期、かなり広範囲に城郭施設が存在したことがうかがえる。

貞享2年(1685)作成の『越前地理指南』に「五分市村(中略)北に佐々内蔵成政城跡アリ、百八拾間四方」とあって、江戸時代前期に、約1世紀前の城跡と伝承されていたことがわかる。

佐々成政は、天正3年(1575)8月の織田信長により第3次越前侵攻の後、不破光治、前田利家とともに府中周辺2郡に配置された、信長の有力家臣である。天正9年(1581)には越中へ移封されたので、伝承通りとすれば、小丸城はこの間のきわめて短期間に築城、廃絶した城ということになる。近年の瓦研究の進展により、隅櫓から出土した瓦の製作技法が、天正年間前半までにほぼ限られることがわかり、ここが佐々成政による築城であることが確実になった。

情報提供:越前市商業・観光振興課



城郭口コミ


2024/04/19 22:04主計頭RedKing
小丸城:鯖江から武生を通り木ノ芽峠に向かう途中に立ち寄りました。東には池田町を経て美濃の徳山へという街道が交差する道沿いです。写真は既に公開されているものと同じで失礼。遺構というよりも廃絶後にきれいさっぱりとどちらかに石垣から瓦も何もかも再利用されたのでしょうか。周囲も農家というよりは、かつての街道沿いの宿場町の面影を残しつつ生活されています。

2022/10/09 16:10RED副将軍
大滝城:大規模な堀切が良好に残るシンプルな連郭式山城🏯⁡オススメ度 ★★★★★⁡築城年代等は不詳。平泉寺の末寺として建立された大滝寺の僧兵が築城したものと云われています。南北朝時代は、大滝寺は南朝方に付き、大滝城は南朝方の拠点となりました。1341年には北朝方の得江頼員に攻められ落城しました。その後、朝倉氏の庇護を受けて一大勢力に復興しました。しかし、1575年の織田信長の越前攻略の際に、滝川一益によって焼き討ちに遭い滅亡しました。その後の一乗谷攻略に際して滝川一益が一時的に在城したと云われます。⁡見所東西に伸びる尾根上を5条の大規模な堀切で分断された古い山城だけにシンプルな連郭式山城です。北側にも1...

城郭攻略情報


2024/03/24 09:21
よっしっし左衛門督
北陸新幹線越前たけふ駅停車中に攻略できました。
2024/03/17 10:02
九曜紋東市正
越前たけふ駅にて攻略。
2024/03/16 15:07
中務卿一之介
北陸新幹線越前たけふ駅で平定。
2023/07/02 22:28
あざらし肥前守
越前市宮谷町・生蓮山興徳寺、越前市清水頭町・出雲路山毫摂寺など。(❜18・1攻略)
2023/06/19 15:54
行くぞ湯布院征夷大将軍クララ姫
北陸自動車道にて安定攻略だワン。運転中のポチは小丸ジョウ!

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 娘えん姫さん 84

 2位 ゆうこ近江守の方さん 54

 3位 真柄右近将監義隆さん 28

小丸城の周辺スポット情報

 小丸城跡案内看板(碑・説明板)

 鞍谷御所(周辺城郭)

 武衛山城(周辺城郭)

 大滝城(周辺城郭)

 小丸城跡駐車場(駐車場)

 真柄十郎左衛門墓所(その他)

 

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