庄城(しょうじょう)

庄城 投稿者:雪那‪さん

城郭基本情報

名称(よみ) 庄城(しょうじょう)
通称・別名 庄ノ城、庄の城、壇城、段の城
所在地 富山県砺波市庄川町庄
天気情報

05/03(金) 降水確率:0%
21℃[+4]9℃[-1] 詳細

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問い合わせ 砺波市文化芸術係[電話
分類・構造 山城
築城主 桃井直常
築城年 正平年間(1346〜1370)以前
主な改修者 石黒氏(壇石黒氏)?
主な城主 桃井氏、石黒氏、神保氏?
廃城年 天正4年(1576)以降
遺構 曲輪、土塁
指定文化財 市史跡(壇城跡)
再建建造物 碑、説明板
壇城は庄川右岸の雄神橋東詰の山中にあったもので、現在も「だん」と呼ばれる広い平坦地です。

この平坦地は標高130m、現在は水田になっています。

城跡は室町時代末から戦国時代のものと考えられ、現在も東側の山上には規模の小さい簡単な中世城館遺構(ちゅうせいじょうかんいこう)がいくつも確認でき、主郭(しゅかく)(城の中で建物を建てたり、軍勢を集めたりするために造られた広場)は西麓の「だん」と呼ばれる平坦面に遺存していたと思われます。

昭和58年の試掘調査では、溝・柱穴(ちゅうけつ)・礎石(そせき)・石敷・石列などの遺構が確認され、遺物包含層(いぶつほうがんそう)からは炭化物が出土したことから、幾度か落城したと推測できます。

この郭(くるわ)からは、南東方向に三条山を望むことができ、同山上には同じ南北朝時代の千代ヶ様城(ちよがためしじょう)がありました。距離的にはかなり離れていますが、壇城とは尾根伝いの連絡路があり、平常時の居館が壇城で、千代ヶ様城が緊急時に立てこもる詰城(つめじろ)であったと考えられます。

城主は、国人を集めて挙兵した桃井直常が居城としていましたが、南北朝時代の応安2年(1369)に直常追討のため管領斯波義将の命で派遣された二宮次郎左衛門に攻められ落城したとされています。その後、永正7年(1510)には、長尾為景が上杉顕定を敗死させた後、ここに居住し、また、天正4年(1576)頃、石黒与三右衛門が居住の時、上杉謙信に攻められ退城したとされています。この両城は、共に庄川扇状地の扇頂部に位置する要衝であったことから、南北朝の争乱時には重要な役割を果たしていたと推測されます。

情報提供:砺波市教育委員会



城郭口コミ


2022/06/08 12:51まじんB00B00
庄城:温泉宿?の駐車場に車を停めて見学。田んぼっすね。害獣よけの電気柵がありました。気をつけてね(^◇^;)

2022/06/05 13:56曲輪若狭守削平
隠尾城:富山市方面から来られる方は県道346の冬季閉鎖(12月1日~4月28日)にご注意を。夢の平スキー場から上には行けなくなります。反対側の庄川側からは除雪次第で隠尾まで入れます。城址の見える所まで道路ありますが、隠尾集落内の道は狭いので車は八幡宮付近に置いていく方が良いと思います。あと、隠尾集落内は携帯電波が届きにくいです(城址は崖上にありますので大丈夫です)。今回は鉢伏山も目的地の一つでしたのでスキー場の駐車場から歩きました。ゲレンデを登り、隠尾城まで50分でした。主郭と一段下の郭までは刈り払ってありました。砦程度の大きさしかないので、どのように使われた城なのか気になります。熊対策必要。2022...

城郭攻略情報


2024/05/02 09:09
治部卿へきのん
砺波駅レンタサイクルで中野(西)交差点より南下、人肌の宿川金まで2kの看板付近
2023/11/25 03:29
中納言くのすけ
金沢駅西口→井波(加越能バス)乗車中、井波バス停付近で攻略
2023/07/05 16:00
あざらし肥前守
公共交通:一例加越能バス庄川町線庄川町〜徒歩登城。基本情報にもあるが、城の説明板や城郭カードでは壇城、グーグルマップでは庄ノ城と表示。(❜18・3攻略) 
2022/04/22 10:43
tak.walker
金沢駅から出ている、路線バス金沢砺波線の終点井波バス停に到着したところで攻略できました。
2022/04/03 11:49
摂政桂花
高儀駅から東へ歩いて南砺市天正交差点へ。そこからさらに100メートルほど東へ行ったところでゲット。片道40分弱でした。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 るいさん 16

 2位 藤乃左近衛少将龍神さん 9

 3位 義理もん太さん 8

庄城の周辺スポット情報

 教育委員会の説明板(碑・説明板)

 千代ヶ様城(周辺城郭)

 隠尾城(周辺城郭)

 隠尾館(周辺城郭)

 

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