中地山城(なかちやまじょう)

中地山城 投稿者:ちょんごろさん
icon

--時間

--

icon

城郭基本情報

名称(よみ) 中地山城(なかちやまじょう)
通称・別名 中地山館、中地山塁
所在地 富山県富山市大山町中地山
天気情報

06/04(水) 降水確率:40%
23℃[+4]14℃[-1] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 富山市生涯学習課[電話
分類・構造 山城
築城主 江馬輝盛
築城年 天正元年(1573)
主な城主 江馬氏、河上氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、虎口、土橋、櫓台
指定文化財 市史跡(中地山城跡及び殿様馬乗石)
再建建造物 説明板
中地山城(なかちやまじょう)は、富山県富山市大山町中地山にあった城。

中地山城は、北を常願寺川、西を小口川、東を和田川に挟まれた台地上にあります。最高所の標高は380mで台地の西麓には中地山集落があり、往時は城下集落としての性格を持っていたと考えられます。

城を築いたのは戦国時代の武将で、現在の岐阜県飛騨市神岡町中心に勢力を伸ばしていた江馬輝盛といわれています。輝盛は越後の上杉氏と進行があり、越中で戦う上杉氏に協力するため永禄年間(1558~1570)に城を築いたようです。

江馬氏はこの城に河上氏などを置いて守らせ、永禄12年(1569)には反上杉方を牽制するため、芦峅寺に制札を下しています。また、元亀3年(1572)には上杉謙信の富山城攻めにも加わっています。

江馬氏が中地山城を維持していたのは、おそらく謙信が死去した天正6年(1578)までとみられます。この年、中地山城は落城したと伝えられますが、詳しいことはわかっていません。

なお、以前城内にあった「殿様馬乗石」と呼ばれる大石は、中地山神社の境内に移されています。

参考文献 

・現地看板。

情報提供:富山市教育行政センター



城郭口コミ


2024/05/13 01:14曲輪中務大輔削平
湯端城:富山市岡田、常願寺川と熊野川に挟まれた丘陵先端部に城跡があります。行き方はGoogleマップにスポット登録されてますので参考にされると良いと思います。至近の道路を登って行き比高が1.5m程になった所に踏み跡があります。入るとすぐに南側の土塁空堀に出合えるはずです。駐車場はありません。合戦行軍でリア攻め。遺構は道路で削られてしまっている東側以外の三方に土塁が残り、空堀も一部が残っています。ですが、それなりの藪に覆われており、虎口など良く分かりませんでした。ただ遺構と言えるかどうかですが、城址北側の斜面は斜度、高低差とも見応えありました。そしてその斜面から城址の西側を南へ続く溝跡があります(横堀ま...

2024/01/04 00:08曲輪中務大輔削平
論田山城:小見城とも言われる。富山市大山町小見と亀谷に跨がる標高約510mの論田山に城跡があります。亀谷の集落から小見発電所の貯水池へ向かう道路があり、城跡のすぐ近くまで車で行く事が出来ます。登城路はありませんが最初に現れる一番下の堀切まで道路から4分でした。縄張図を見ながら切岸、堀切、土塁、そしてスロープ状の虎口などを見て回りました。植林地は藪が薄く写真が撮り易かったですが中低木の雑木林はそれなりの藪になっていました。地形図等や熊対策必要。登山靴推奨。2023.12.9(写真の説明はスポット写真からどうぞ)

城郭攻略情報


2025/05/06 13:50

岩峅寺駅にて
2025/04/28 14:13
平田兵庫頭兼親no.
立山ケーブルカー美女平駅で攻略。
2024/10/25 09:35
りく徳川左馬頭家康
富山地鉄立山線立山駅
2024/06/16 16:59
ぽめ吉加賀守
道の駅細入より
2023/07/05 17:49
あざらし肥前守
中新川郡立山町芦峅寺、立山博物館。(❜18・1攻略) 

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 さけずきくりん越中守さん 32

 2位 前田左衛門督英陽さん 30

 3位 愛美飛騨守さん 27

中地山城の周辺スポット情報

 史跡中地山城跡(50m先左折)(碑・説明板)

 中地山城及び殿様馬乗石(碑・説明板)

 新宮山城(岩倉城)(周辺城郭)

 池田城(周辺城郭)

 論田山城(周辺城郭)

 湯端城(周辺城郭)

 芦峅寺城(周辺城郭)

 礼拝殿山城(周辺城郭)

 

to_top
気に入った!しました