黒滝城(くろたきじょう)

黒滝城 投稿者:犬皇三河守さん

城郭基本情報

名称(よみ) 黒滝城(くろたきじょう)
通称・別名 黒滝要害
所在地 新潟県西蒲原郡弥彦村大字麓字要害
天気情報

04/03(木) 降水確率:40%
12℃[+1]7℃[+1] 詳細

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問い合わせ 弥彦観光協会[電話
分類・構造 山城
築城主 上杉氏?
築城年 戦国時代
主な城主 黒田氏、山岸氏
廃城年 慶長3年(1598)
遺構 曲輪、土塁、堀切、井戸跡
指定文化財 村史跡(黒滝城跡)
再建建造物 碑、説明板
弥彦村麓にある中世の城郭。15世紀初めの頃、越後の戦国武将小国氏と黒滝氏が京都で越後守護上杉房方に謀反を企てた。この黒滝氏はおそらく黒滝城を本拠とした武士と考えられ、少なくともこのときまでに黒滝城が存在していたと推測される。

永正7年(1510)には、越後守護代長尾為景の軍勢と関東管領上杉顕定の軍勢との合戦の舞台となる。当時、黒滝城には顕定方の八条修理・桃井一類が在城していたが、為景方の夏戸(なつど)城主志田源四郎によって攻略されている。

その後、上杉謙信の時代に山岸氏が城主となる。同氏は謙信に仕える一方、弥彦神社の戸内職を勤めていた。謙信没後の御館の乱では、山岸氏の黒滝城は、西蒲原地域の上杉景勝方の拠点としてその勝利に貢献する。山岸氏は景勝の権力を背景に勢力を拡大し、弥彦神社および神領支配の主導権を確立してゆく。しかし、間もなく景勝の直臣団=上田衆の一員である深沢弥七郎が山岸氏を継承し、黒滝城も景勝の直接の支配下におかれることになる。慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封により廃城となった。

情報提供:弥彦村教育委員会



城郭口コミ


2025/03/29 22:41国府左京大夫城介
黒滝城:南沢の道【大手道】について****このルートは危険なので、行く場合は自己責任でお願いします****黒滝城址森林公園・案内図(写真1)に描かれている『南沢の道【大手道】』(オレンジ色のルート)が想像以上に危険なルートだったので、注意喚起の意味を含めて口コミに上げます。この南沢の道は、門口砦の脇から、乳母ノ懐曲輪群を経由し、南沢沿いを下って、県道麓野積線へと至るルートです。地図(国土地理院)を見ると、南沢という沢沿いを歩くことになり、最後に砂防ダムがあるなというくらいにしか読めませんでした。そもそも、大手道だし、案内図にも書かれている位だから、大丈夫だろうという考えでした。しかし、乳母ノ懐曲輪を越...

2025/03/19 20:49国府左京大夫城介
剣ヶ峰砦:寺泊港を監視も担う黒滝城の詰の城【歴史】築城年代は不明だが、慶長3年(1598)に黒滝城と共に廃城となった。長尾氏(上杉氏)により、黒滝城の改修が行われた際に築かれたか。【遺構】黒滝城(黒滝山)の西側に連なる剣ヶ峰(標高290m/比高80m)の稜線に築かれた砦です。黒滝城と異なり、稜線上に築かれているため、郭は細長い形状となっている。最頂部の主郭からそれぞれ東側と南側の尾根に数段の郭を置かれている。黒滝城の大手側にあたる東側には3つの堀切を設けている。また、砦内からは渡部城や寺泊港、野積海岸を監視でき、敵の動きを容易に察知することができる。【感想】黒滝城というメインディッシュの後に、丁度いいデ...

城郭攻略情報


2024/10/06 16:27
たーちゃん大宰大弐
分水駅を吉田方面に出て連打で攻略出しました
2024/08/10 09:30
なりっく
越後線分水駅、柏崎行き電車の中で取れず。
2023/07/08 16:21
あざらし肥前守
燕市熊森、ホテル公楽園自販機・ゲームコーナー。(❜18・4攻略)
2023/06/25 08:18
號号権大納言虎右衞門
弥彦線弥彦駅で天神山城・松ヶ岳城と共に攻略。
2023/04/01 11:41
よっしっし左近衛中将
越後線分水駅にて攻略できました。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 越後守マンタロウさん 13

 2位 会津武士白虎隊さん 7

 3位 前坂右衛門尉入道不覚さん 2

黒滝城の周辺スポット情報

 渡部城(周辺城郭)

 剣ヶ峰砦(周辺城郭)

 

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