黒滝城(くろたきじょう)

黒滝城 投稿者:気分爽快信濃守さん

城郭基本情報

名称(よみ) 黒滝城(くろたきじょう)
通称・別名 黒滝要害
所在地 新潟県西蒲原郡弥彦村大字麓字要害
天気情報

05/05(日) 降水確率:10%
26℃[+2]10℃[+2] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 弥彦観光協会[電話
分類・構造 山城
築城主 上杉氏?
築城年 戦国時代
主な城主 黒田氏、山岸氏
廃城年 慶長3年(1598)
遺構 曲輪、土塁、堀切、井戸跡
指定文化財 村史跡(黒滝城跡)
再建建造物 碑、説明板
弥彦村麓にある中世の城郭。15世紀初めの頃、越後の戦国武将小国氏と黒滝氏が京都で越後守護上杉房方に謀反を企てた。この黒滝氏はおそらく黒滝城を本拠とした武士と考えられ、少なくともこのときまでに黒滝城が存在していたと推測される。

永正7年(1510)には、越後守護代長尾為景の軍勢と関東管領上杉顕定の軍勢との合戦の舞台となる。当時、黒滝城には顕定方の八条修理・桃井一類が在城していたが、為景方の夏戸(なつど)城主志田源四郎によって攻略されている。

その後、上杉謙信の時代に山岸氏が城主となる。同氏は謙信に仕える一方、弥彦神社の戸内職を勤めていた。謙信没後の御館の乱では、山岸氏の黒滝城は、西蒲原地域の上杉景勝方の拠点としてその勝利に貢献する。山岸氏は景勝の権力を背景に勢力を拡大し、弥彦神社および神領支配の主導権を確立してゆく。しかし、間もなく景勝の直臣団=上田衆の一員である深沢弥七郎が山岸氏を継承し、黒滝城も景勝の直接の支配下におかれることになる。慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封により廃城となった。

情報提供:弥彦村教育委員会



城郭口コミ


2022/05/23 10:36しぇるふぁ加賀守
渡部城:城跡は城址公園として整備されています。写真の通り、無料の駐車スペースがあり、車でもアクセスしやすいです。遺構は腰曲輪等が良好に残っていました。案内板と鳥瞰図が設置されており、城の来歴についてもわかりやすかったです。本丸跡は神社になっており、本殿と裏に奥宮と思われる建物が建っていました。

2020/09/14 12:04しん佐渡守
黒滝城:麓から野積に抜ける道が土砂崩れの為通行止めになっていた。黒滝城までなら徒歩で行けました。

城郭攻略情報


2023/07/08 16:21
あざらし肥前守
燕市熊森、ホテル公楽園自販機・ゲームコーナー。(❜18・4攻略)
2023/06/25 08:18
號号大宰帥虎右衞門
弥彦線弥彦駅で天神山城・松ヶ岳城と共に攻略。
2023/04/01 11:41
よっしっし左衛門督
越後線分水駅にて攻略できました。
2022/04/10 12:27
摂政桂花
吉田駅で。
2022/03/26 12:35
上総介あきおう
JR越後線分水駅にて攻略。越後線は本数少ないですが、JR長岡駅からバスも出てます。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 越後守マンタロウさん 20

 2位 アッシュビー佐渡守さん 9

 3位 たけじんさん 6

黒滝城の周辺スポット情報

 渡部城(周辺城郭)

 剣ヶ峰砦(周辺城郭)

 

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