名称(よみ) | 稗生城(ひうじょう) |
通称・別名 | ひゅう城 |
所在地 | 新潟県小千谷市稗生字城之腰 |
天気情報 |
11/22(金) 降水確率:80% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 小千谷市生涯学習課社会教育係[電話] |
分類・構造 | 山城 |
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 稗生氏、平子氏 |
遺構 | 曲輪、堀切、畝状竪堀 |
指定文化財 | 市史跡 |
再建建造物 | 石碑、説明板 |
2024/10/17 08:18 よっこいしょーいち
おぢや城跡:深地城の北、小千谷市の千谷川地区に突き出すようにある台地の上に「おぢや城」があったのではないかとされる。現地には「城ノ上」「城ノ下」「土手外」などの地字があり、城があったことが推測される。「小千谷市史上巻」によれば深地城が廃城になった後、「おぢや殿」により築かれたのではないか、とされており「おぢや殿」は平子氏の平子孫太郎ではないかとされるものの、詳しいことはよくわかっていないようです。現地にある「城上神社」の案内板に「おぢや城」があったとの記載があります。信濃川の「中子の渡し」や川港の「小千谷港」をおさえるための城と考えられ、「おぢや城」の城主は小千谷の礎となった領主のようです。しかし、現地に...
2023/09/16 11:26 よっこいしょーいち
深地城:深地城は信濃川の川縁にある断崖絶壁の台地上に築かれています。小千谷市史の縄張図によれば楔型の台地の突端に主郭があり南に二重の空堀があったらしい。現在はごくわずかな堀跡が残っているだけです。ただ隣接する五智院の西側にも堀跡らしきものがあるので五智院の境内(墓地も含む)も城域に含まれるのではないかと思いました。現地の説明文によれば「この一帯は深地の岨(はば)と呼ばれ、古城があったと語り伝えられてきた所である。『温古の栞』などによると、南北朝時代に上杉憲顕の将大関兵部(栃尾大野城主)の支城として、築かれていたという。その後、永正年間(1510年頃)に長尾為景の一族である深地入道時景の居城となったが、...
来月度の城主争い戦況
1位 東市正みりゅうさん 61回
2位 あおいさん 42回
3位 平澤治部大輔敦さん 21回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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