下倉山城(したぐらやまじょう)

下倉山城 投稿者:やまと相模守さん

城郭基本情報

名称(よみ) 下倉山城(したぐらやまじょう)
通称・別名 下倉城
所在地 新潟県魚沼市下倉字滝沢
天気情報

05/05(日) 降水確率:0%
30℃[+2]10℃[+2] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 魚沼市観光協会[電話
分類・構造 山城
築城主 長尾氏
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な城主 福王寺孝重、佐藤平左衛門、小倉正熈
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸
指定文化財 県史跡(下倉山城跡)
再建建造物 石碑、説明板
下倉山城跡は魚野川と破間川との合流地点に位置する権現山(標高225メートル)に築かれた山城である。

城は地理上、会津や関東にぬける交通の要衝であり、軍事的拠点としての役割を担っていた。

昭和55年(1980)に新潟県教育委員会により一部調査が行われ、城は大小70か所以上の曲輪と土塁・空堀などで構成され、縄張りなどの特徴から南北朝時代にまでさかのぼる可能性があり、井戸も2箇所確認された。

また、城の東側山麓にある竜泉寺は、平時に城主が居住した居館と考えられている。

下倉山城が文献に登場するのは室町時代後期(戦国時代)の永正年間(1504~1520)以降で、これらの記録からこの城を舞台に数々の攻防戦があったことが分かる。

天文2年(1533)、越後国守護上杉定実の一族上条定憲による「上条の乱」では、城主福王寺孝重が、守護代長尾為景(上杉謙信の父)方に属し、籠城戦の結果、為景の勝利に貢献した。

また、上杉謙信の後継を巡る天正6年(1578)の「御館の乱」では、上杉景勝方の城主佐藤平左衛門秀信が籠城し、上杉影虎方と攻防戦を繰り広げている。

上杉氏が会津移封後の慶長5年(1600)には、「関ヶ原の戦い」の前哨戦となる「上杉遺民一揆」が起き、一揆軍の攻撃によって一時は落城したが、すぐに坂戸城主堀直竒により奪還されたと伝えられている。

城は、関ヶ原の戦いの後、各地での戦乱状態の終息とともに軍事的役割を終え、廃城されたものと考えられている。

情報提供:魚沼市教育委員会生涯学習課



城郭口コミ


2022/04/25 00:31大膳大夫マイリバ
浦佐城:浦佐駅の裏さある噂の城です😚噂かどうか知らんけど🤣で、実城の裏さある二重堀切凹凹が見事です😳😳二重堀切凹凹以外にも堀切凹&空堀凹がありますが、やっぱり二重堀切凹凹を愛でて🥰、二重堀切凹凹に圧倒されて🫣、二重堀切凹凹を何往復かして🚶‍♂️、これでもかと言うぐらい二重堀切凹凹の写真を撮って📷ほしいです😌残雪の越後三山🏔と二重堀切凹凹との共演は毎年見たくなりますよ🥰〜以下、解説板より〜南魚沼市指定文化財浦佐城跡(浦沢城址)昭和56年3月30日指定浦佐城跡は薬師山(標高約300メートル)に築かれた中世の山城跡で、山麓を通る三国街道を抑え、魚野川の舟運を監視する要地に所在する。天正6年(1578年)に上...

2016/08/15 10:01カーネル
下倉山城:上越線小出駅から城は北にありますが、川を渡るため南下して小出橋を渡りすぐ左折。川の堤防を歩いて北上すると正面に下倉山城か現れます。比高差は100mくらい只見線と破間川を越えて国道17号のT字交差点を右折し、300m程で石碑があります。ここまで30分石碑の右奥50mくらい先を見ると、白い小さな建物の壁面に縄張図がかけてあります。この建物の脇から山に入れます山道は、緩やかではないが楽でもない程度の傾斜を登ります。道は分かりやすく、日当たりのいいところは腰から下が草に覆われ道が見えませんが、杭とロープがかけてあるので、それをたどれば問題ありません段丘の郭が連続し、急峻な切岸を3回直登することになりま...

城郭攻略情報


2023/07/07 12:46
あざらし肥前守
魚沼市本町、小出商店街。(❜18・1攻略)
2023/06/12 16:30
MOCO
小平インターからゲットできました。山城みたいな城跡とは。また、違うのかな。
2021/01/27 15:50
大膳大夫ベンジー
関越道、トンネルに入ったタイミングでリア攻めゲットしました。
2020/07/20 19:16
副将軍こうちゃん播守
JR上越線、越後滝谷駅→小千谷駅間で攻略!
2019/04/29 10:58
十二代目竹屋作兵衛
国道252沿いのソバ処「げんたん」でゲット

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 太政大臣RUSさん 24

 2位 美穂さん 18

 3位 ミハイルさん 6

下倉山城の周辺スポット情報

 下倉山城石碑(碑・説明板)

 浦佐城(周辺城郭)

 

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