名称(よみ) | 真田城(さなだじょう) |
通称・別名 | 実田要害 |
所在地 | 神奈川県平塚市真田(天徳寺) |
天気情報 |
11/22(金) 降水確率:20% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 平塚市教育委員会社会教育課文化財保護担当[電話] |
分類・構造 | 丘城 |
築城主 | 真田義忠 |
築城年 | 応永年間(1394〜1428) |
主な改修者 | 上田氏 |
主な城主 | 真田氏、上田氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
再建建造物 | 説明板 |
2024/08/08 23:23 マグロ常陸介祐平
土屋城:桓武平氏良文流の中村庄司宗平の三男、土屋宗遠の居館です。宗遠は、土肥実平の弟にあたります。頼朝の元で源平合戦において活躍し、甲斐源氏参戦の交渉も行っています。お隣の岡崎氏とは養子をもらうなど固い姻戚関係にありました。土屋氏は、室町時代までこの地を治めますが、明徳の乱で当主宗貞が討死し勢力を弱め、上杉禅秀の乱で敗北し、所領は大森氏のものになっています。お城は、大乗院の南にあったようですが、風土記稿の書かれた江戸時代後期には、「遺形と覚しき所なし」とされているので、遺構は残っていないと思われます。大乗院の墓地の先の携帯電話の電波塔付近は堀切のようにみえ(写真4枚目)、周囲は何となく城郭の雰囲気を感...
2024/08/08 00:14 マグロ常陸介祐平
真田城:新編相模風土記稿に真田城蹟として「村の中程に在東西五十三間南北三十五間四方に堀の跡あり治承の昔真田與一義忠の居城なりしと云其後遥に星霜を経て明應四年大森筑前守藤頼北条早雲の為に小田原城を攻落され當城に遁る数度合戦ありしが藤頼遂に利なくして一族悉く當城にて滅亡す廃城となりし年代は詳ならず天正の頃は既に廃して鈴木隼人某が持地なり後天徳寺境内となれり」とあります。平塚市博物館の資料によると戦国期の記録では、明応5年(1496年)と永正元年(1504年)に上田氏(扇谷上杉氏家臣)の守る実田要害として現れるようです。発掘調査も行われており、城域は東西約500m、南北約300mの規模だったようです。堀から...
来月度の城主争い戦況
1位 KW3さん 60回
2位 北条左京大夫氏泰さん 48回
3位 毛利式部卿元博さん 48回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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