| 名称(よみ) | 小沢城(こさわじょう) |
| 所在地 | 神奈川県愛甲郡愛川町角田 |
| 天気情報 |
10/31(金) 降水確率:80% |
| 地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
| 分類・構造 | 山城 |
| 築城主 | 金子掃部助 |
| 築城年 | 室町時代前期 |
| 主な城主 | 金子掃部助 |
| 遺構 | 曲輪、横堀(空堀) |
| 再建建造物 | 説明板 |
2025/08/22 20:39 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
姫の松:かってここは底なしと呼ばれた大沼で、岸辺には姫の松という老松があった。遠いむかしのことである、相模川べりの小沢に城があって、そこに美しい姫がいた。時は戦乱の世で、小沢の城も戦にまきこまれてついに落城、思わぬ悲運にみまわれた姫は、侍女ともども城を出て、ようやくここまで逃れてきたが、身の行く末をはかなんで自ら大沼に身を投げて果てたという、姫の松は、そのとき岸辺につきさしてあった姫の杖が根づいたものだといわれる、また、一説には姫の死を憐れんで土地の人が植えたものだと伝えられている。現在の松はその松の遺命を継ぐ樹である。愛川町教育委員会と説明板には書いてあります。そして、松の後ろに松姫慰霊碑が建立され...
2025/08/22 19:45 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
桜坂(刺坂):この坂は古くは刺坂と呼ばれていた刺はあて字で、本来は焼畑耕作を意味する「サス」と思われる、その昔、字蔵屋敷あたりは焼畑地でありそこへ通じる坂道ということで「サス坂」となったのであろう。また、小沢城落城の際、城の松姫は身をはかなんでこの坂下の大沼に投身したという。そのおり、悲嘆にくれた共の者が、ここで胸を刺し貫いて自害した、それで刺坂の名が起こったのだという伝説もある。案内板裏にある碑が伝えるように傾斜の急なこの坂は、古来より人や馬が災禍をこうむることが多かったので、不吉な刺坂の名を忌み、明治三十六年桜坂と改称した。と説明板に書いてあります。
来月度の城主争い戦況
1位 うつくん宮内卿さん 172回
2位 コスさん 139回
3位 ひよこ左近衛少将さん 87回
| 攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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