於曾屋敷(おぞやしき)

於曾屋敷 投稿者:富士丸式部大輔孫兵衛さん

城郭基本情報

名称(よみ) 於曾屋敷(おぞやしき)
通称・別名 於曽屋敷
所在地 山梨県甲州市塩山上於曽元旗板539他
天気情報

11/24(日) 降水確率:30%
13℃[±0]2℃[-1] 詳細

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問い合わせ 山梨県教育委員会教育庁学術文化財課[電話
分類・構造 平城
築城主 加賀美(於曾)氏
築城年 15世紀中期
主な城主 加賀美(於曾)氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 県史跡(於曽屋敷)
再建建造物 説明板
塩山市下於曽に元旗板と呼ばれる地域がある。この地域の中央に山梨県指定史跡である於曽屋敷がある。

於曽郷は、「和名抄」に山梨郡の郷名として見えることから、古代からの集落であったことがわかる。甲斐の古代豪族である三枝氏の支配下に属していたが、その勢力の弱体化とともに甲斐源氏の勢力下に組み込まれたものと考えられる。中世の於曽氏は、甲斐源氏の祖とも言われる逸見冠者黒源大清光の男、加賀美遠光の男である四男が於曽四郎を号しまた五男が於曽五郎を称したことに始まる。

於曽氏は室町から戦国期には『一蓮寺過去帳』・『妙法寺記』・『高白斎記』などにその名を散見することができる。

この屋敷は、県内では最も形態を伝える土豪屋敷の一つである。東西90m、南北110mの規模を有し、江戸時代の絵図によれば、二重の堀と土塁によって囲まれていたことがわかる。今日でも、北側と東側にその痕跡を認めることができる。虎口は南と東にあるが、ともに間口は2間程である。

昭和60年9月に県教育委員会で実施した発掘調査によって、南虎口の外側に幅3m以上の堀と土橋、堀の外側に柵列、その外側には掘建による奥行き二間、間口3間以上の門と思われる建物が検出された。この建物の南10mには土塁の基底部と思われる幅5m余り版築状の面が東西に延びているのも確認された。このことから、於曽屋敷は、絵図の通りの構造をもっていたことが確かめられた。

この屋敷の性格については、金山衆との関係が指摘されているが、今回の分布調査によっても、周辺に多くの金山衆関係の屋敷が確認された。

情報提供:山梨県教育委員会



城郭口コミ


2024/08/01 09:24syokumi 雅楽頭
於曾屋敷:住宅地の中に、避難地用の公園として残されていました。お手洗いの設置の際に詳細な調査をしたようです。街中での城跡はこうして保存される事が多いですね。説明板も設置されて、街を守る公園として愛されていくといいなと感じました。土塁や巨木も残されています。住宅地の中ですので足腰の悪い方でも見学可。トイレ・駐車場あります。

2024/06/26 05:58内記かずりヾ(・ε・。)
恵林寺山城:さて、山国なのに山城不作の地、山梨県でGMYSGしてたら、知らんお城がヒットしたので即決で訪ねる事にした。今まで知らずに結構な頻度で目の前を通り過ぎていたのね。あ、GMYSG…「Googleマップで山城してGO♪」の事っす。信濃のお城の神は「信濃の山城と館」に続いて「甲斐の山城と館」て本も出しておられるんだけど、信濃が全8巻なのに対して甲斐は僅かに上下2巻、県としての面積に違いがあるとはいえ、山梨県は他県と比べても実に山城が少ない地域なのだ。同書の掲載物件を見ても居館と屋敷が圧倒的、次に続くのが砦、狼煙台、物見台の類い、要害の数は極端なまでに少ない。おいらが甲斐を山城不作の地とするのは決して言...

城郭攻略情報


2023/12/18 21:17
九曜紋東市正
甲府駅から八王子駅に移動中、東山梨駅を通過時に攻略。
2023/06/27 07:09
あざらし肥前守
甲州市塩山上於曽、菅田天神社。国宝・源氏八領で唯一現存する楯無鎧を所蔵、原則非公開。(❜18・3攻略)
2022/06/18 18:51
よっしっし左近衛中将
県道216号線、辻交差点付近で攻略できました。
2022/04/16 11:15
とら中務大輔
勝沼ぶどう郷駅で攻略
2020/09/05 11:51
カモメ
塩山市立井尻小学校にて、3城攻略

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 中務大輔万理さん 144

 2位 すさのおさん 41

 3位

於曾屋敷の周辺スポット情報

 恵林寺山城(周辺城郭)

 武田信春館(周辺城郭)

 雲峰寺(寺社・史跡)

 於曽屋敷(於曽公園)(トイレ)

 於曽第二公園・於曽公園(駐車場)

 

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