名称(よみ) | 実籾城(みもみじょう) |
所在地 | 千葉県習志野市実籾本郷 |
天気情報 |
05/18(土) 降水確率:0% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
分類・構造 | 平山城 |
築城主 | 不明 |
築城年 | 戦国時代 |
主な城主 | 不明 |
遺構 | 曲輪、土塁 |
2020/12/06 05:37 山内侍従伊右衛門俊胤
実籾城: 実籾城は下総地方によくある低地に突き出た舌状台地の城である。城跡とされる場所には妙見社が建っており、周辺には遺構らしき土塁が散見される。しかし普通の住宅地なのでウロウロする訳にも行かず、はっきりとした事はわからない。江戸時代に御成街道が本郷北側に開通すると町の中心も街道沿いに移った様で、西中山無量寺や大原神社が実籾本郷から街道沿いに移されている。その為か本来の集落の姿が分かり辛い。 実籾城があったとされる場所には、かつて妙光山観音院惣持寺と呼ばれる尼寺があった。鎌倉時代初期、千葉常胤の曾孫である千葉介胤綱が七歳の娘藤姫を仏門に入れ、授戒して執善と名を改めた藤姫が庵を設けたのが後の惣持寺であっ...
2020/12/06 05:36 山内侍従伊右衛門俊胤
実籾城:大原大宮神社の伝承と平安時代の千葉氏内紛 実籾駅北にある八幡稲荷神社の由緒によると、大原大宮神社を創建したのは千葉氏の将兵であったという。「嘉承2年(1107)、千葉氏一族に内紛抗争が起こり、亥鼻に住むことを潔いとしない将兵達が実籾本郷に移住し、農耕を営んだ。」との事だ。 伝承における内紛抗争の勃発は、千葉常胤の曾祖父平常長が死去した時期と重なる。平常長は天仁元年(1108)頃に死去したとされ、次男の常兼が惣領を継承した。内紛は常兼の惣領継承に関わるものであったのだろうか?時期的に近い(と言っても30年近く過去の出来事だが)千葉氏の抗争というと承暦4年(1080)頃にあったと見られている平常長...
来月度の城主争い戦況
1位 フックドグランデ下総守さん 155回
2位 カブ主さん 113回
3位 ジャクさん 83回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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