| 名称(よみ) | 城ノ台城(しろのだいじょう) |
| 通称・別名 | 城之台城、小栗原城 |
| 所在地 | 千葉県船橋市本中山1 |
| 天気情報 |
11/09(日) 降水確率:70% |
| 地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
| 分類・構造 | 平山城 |
| 築城主 | 不明 |
| 築城年 | 不明 |
| 主な城主 | 小栗氏? |
| 遺構 | 消滅 |
2025/10/05 22:10 マグロ常陸介祐平
城ノ台城:城主や来歴等、不明のお城です。城址に建つ多聞寺(写真1枚目,日蓮宗で日朗の九老僧の日傅が開山)は、永仁6年(1298年)の創建とされるので、鎌倉期のお城でしょうか。日蓮がよく滞在したとされる若宮館からは、南西に1km程の場所に位置します。昔は海に面しており、二子ヶ浦と呼ばれ、日蓮が鎌倉に布教に向かう際に船出をされた霊跡ということで、お寺は建てられたとされます。小栗判官満重を城主とする説があるようですが、小栗原の地名からの連想と思われます。お寺の裏側は、勾配のきつい斜面の墓地となっており、遺構らしきは見当たりません(写真2,3枚目)。明治時代に総武線開通の為、台地はかなり削られてしまったようで、...
2025/10/05 00:30 マグロ常陸介祐平
若宮館:下総の守護千葉頼胤の被官、富木常忍の館です。常忍は、日蓮に帰依し建長7年には館内に法華堂を建立、文応元年の松葉ケ岡の法難の際は日蓮がこの館に逃げ込んだとされ、弘長元年の伊豆法難を許された日蓮はこの館にしばらく滞在したようです。また、文永3年の小松原の法難の際も再びこの館に身を寄せるなど、日蓮にとって、常忍は頼り甲斐のある信徒だったようです。文永11年に法華堂を法華寺と改め、日蓮没後の弘安5年に出家し、日常と号しています。館跡は現在、中山法華経寺の奥之院となっています。周囲を土塁が囲み、鎌倉期の方形の居館を感じさせます。東側の土塁上には、滝行用の滝が築かれており、時折激しく水が流れます(写真1~...
来月度の城主争い戦況
1位 みーすけ左馬頭さん 65回
2位 つば九郎図書頭さん 65回
3位 餅月民部少輔慎吾さん 54回
| 攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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