名称(よみ) | 相模台城(さがみだいじょう) |
通称・別名 | 岩瀬城 |
所在地 | 千葉県松戸市岩瀬字相模台、向山、塚田、離山、殿 |
天気情報 |
10/15(水) 降水確率:60% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
分類・構造 | 平山城 |
築城主 | 北条長時 |
築城年 | 建長元年(1249) |
主な城主 | 北条氏、芳賀氏 |
遺構 | 消滅 |
2025/10/08 12:50 千葉相模守早雲
相模台城:第一次国府台合戦の激戦地となりました。北条氏と対立する小弓公方・足利義明は里見氏や真里谷武田氏と結び、太日川(現在の江戸川)沿岸の国府台城に入ります。対する北条氏綱は上流で渡河し、松戸城に入ると相模台城で両軍は激突。初めは公方勢が優勢でしたが、数に勝る北条軍が押し返し、足利義明は討ち死にしました。遺構は残っていません。城址マークは聖徳大学敷地内にあり、隣の松戸中央公園内に案内板があります。赤色立体図で見ると相模台城も松戸城も国府台城も太日川の河岸段丘上に築かれたことが分かります。
2025/10/07 21:53 マグロ常陸介祐平
根本城:相模台城から北に約700m、高城氏の一族の高城播磨守のお城とされています。岩瀬こ線橋近くの岩山稲荷の棟札に、「高城下総守が建立し、天正15年に高城播磨守(胤吉又は胤辰)が再興した」とあることから、年代的に播磨守は小田原の役で小田原城に籠城した胤知とされます。お城は、松戸市役所付近にあった台地上に築かれていたようですが、大半が崩されてしまい、常磐線と京成松戸線(新京成から今年4月に名称変更)の分岐部分にある高台が地形の名残りとして僅かに残っています。台地には、はっきりした遺構は見られませんが、金山神社が鎮座し、頂上部にある溶岩を施した江戸期の富士塚は、見応えがあります。また、古いものではありませ...
来月度の城主争い戦況
1位 jyoukaku織部佑護さん 103回
2位 吉兵衛さん 101回
3位 しろりんさん 86回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
|
ユーザー名タップで詳細表示 | 報告 |