名称(よみ) | 馬加城(まくわりじょう) |
所在地 | 千葉県千葉市花見川区幕張町3 |
天気情報 |
04/07(月) 降水確率:40% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
分類・構造 | 連郭式平山城 |
築城主 | 大須賀胤信 |
築城年 | 治承4年(1180) |
主な城主 | 馬加康胤 |
遺構 | 住居跡、土坑 |
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馬加城(まくわりじょう)は、千葉県千葉市花見川区幕張町にあった日本の城。
概要
馬加城は花見川と浜田川とに挟まれた舌状台地上に位置する。開発により遺構は消滅したが、伝承等から城域が台地上に広く取られていたものと考えられている。
歴史・沿革
馬加城の築城は、大須賀庄本郷に所領を与えられた千葉常胤の四男大須賀胤信によって治承4年(1180年)に行われたとされる。 胤信は後に埴生郡に移された。
時代は下り、室町時代後期には千葉満胤の長庶子の馬加康胤が拠り、享徳の乱に乗じて原氏と組んで千葉胤直を滅ぼし、宗家の座を奪った。事態を知った将軍足利義政が介入したため、原氏、馬加氏の支配は長くは続かなかった。
馬加城の廃城時期は不明だが、千葉胤富が天文年間に在城したとの記録があり、戦国時代後期まで維持されたものと考えられている。
2025/02/28 23:32 マグロ常陸介祐平
大須加山砦:宮ノ台城から南西に約200m、台地の先端に位置する砦です。宮ノ台城同様、馬加城の支城と思われます。日本城郭体系に、「馬加康胤従卒の墓、もしくは康胤の首塚。」とあるように、城域には馬加康胤の首塚と伝わる塚に寛永14年に建てられた供養塔が見られます。中央に塚のある主郭は、土塁が囲み、墓地から登った部分は、虎口のようにも感じられます。住宅を挟んだ北側の道祖神社周辺にも土塁状の土盛りや腰郭のような削平地が見られ、単郭ではなく、複数の郭で構成されていたように思われます。享徳の乱に乗じて千葉宗家を倒し、当主となった馬加康胤は、同族の東常縁に市原の八幡付近で討たれたとされ、お墓は市原市の無量寺にあります。
2025/02/27 23:58 マグロ常陸介祐平
宮ノ台城:馬加城から西に約1km、大宮神社が城址となります(写真4,5,6枚目)。台地の先端に位置し、他のサイトには狭い曲輪に土塁が見られるとする書き込みがありますが、立ち入り禁止の為、確認出来ていません。馬加城の位置からして、支城でしょうか。すぐ東側に建っている補陀落山観音院宝幢寺(写真1,3枚目)の前身である無量山阿弥陀寺は、千葉常胤が幕張海岸で得た阿弥陀如来を安置したとされており、千葉氏と関連の深い土地ということがわかります。墓域には、現代のものですが馬加城の築城者と同じ大須賀氏(鎌倉時代初期に埴生に移動したはずですが)や千葉氏の一族と思われる園城寺などの名字が見られます。また、近くにある子守神社...
来月度の城主争い戦況
1位 桜木花道土佐守さん 73回
2位 井戸自慢さん 52回
3位 フックドグランデ下総守さん 48回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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