| 名称(よみ) | 御茶屋御殿(おちゃやごてん) |
| 所在地 | 千葉県千葉市若葉区御殿町2、549他 |
| 天気情報 |
11/17(月) 降水確率:20% |
| 地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
| 問い合わせ | 千葉市教育委員会事務局生涯学習部生涯学習振興課[電話] |
| 分類・構造 | 御殿 |
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 土井利勝 |
| 築城年 | 慶長19年(1614) |
| 主な城主 | 徳川氏 |
| 廃城年 |
寛文年間(1661〜1673) |
| 遺構 | 土塁、横堀(空堀)、虎口、土橋 |
| 指定文化財 | 市史跡(千葉御茶屋御殿跡) |
| 再建建造物 | 碑、説明板 |
2025/10/06 15:12 相模守ルントシュテット
御茶屋御殿:御成街道沿いに案内板があるのでそこから歩いていけます。案内板周辺の林に車も数台停められます。御殿の本丸は空堀と土塁に囲まれ方形になっています。意外にしっかりした館跡でした。
2025/06/18 06:55 ラッセル安房守【】栗太郎
御茶屋御殿:徳川家康は、慶長19年(1614)と翌年元和元年の二度、鷹狩のために東金を訪れている。この鷹狩のために、船橋からほぼ一直線で東金に向かう街道が造成された。当時、船橋と東金を結ぶ道は「東金道」でこのルートは道幅が狭い上高低差が大きく曲がりくねっていたため見通しが悪く、警備上問題あった。そこで当時の佐倉城主土井利勝が指揮をとり、船橋〜東金間を道幅三間(約5.5m)でほぼ直線で結ぶ新道を造成した。街道の造成には沿道の90余村の人々が動員された。街道の造成と同時に、中間地点に、休憩・宿泊施設としてつくられる。現在、建物は取り壊されて残っていないが、堀や土塁は残っている。発掘調査の結果、内部には御守殿・...
来月度の城主争い戦況
1位 hellfireさん 28回
2位 グクさん 25回
3位 あこさん 12回
| 攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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