| 名称(よみ) | 宮城氏館(みやぎしやかた) |
| 通称・別名 | 伝宮城氏館 |
| 所在地 | 東京都足立区宮城1 |
| 天気情報 |
02/16(月) 降水確率:40% |
| 地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
| 分類・構造 | 平城 |
| 築城主 | 宮城氏 |
| 築城年 | 鎌倉時代後期 |
| 主な城主 | 宮城氏 |
| 遺構 | 消滅 |
| 再建建造物 | 石碑 |
2026/01/03 13:09 メルカトル式部少輔
宮城氏館:現在は氷川神社となっていました。となりの宮城公園と接しており、こちらに駐輪スペースがありますので、空いている日にレンタサイクルでリア攻めするのも良いかもしれません。(わたしは北千住から自転車で攻めましたが、30分位かかり大変でしたので、もっと近くからの方がいいです汗)昭和40年に建てられた石碑のみが嘗て館跡だったことを偲ばせます。摂社として、稲荷神社、三峯神社、浅間神社がありましたが、これらが宮城氏の信仰と関わっていたかは分かりません。
2024/10/24 23:40 マグロ常陸介祐平
舎人氏館(推定地):先人様が位置登録された舎人氏館の推定地です。舎人氏は、江戸時代に尾張藩の重臣となっており、尾張藩士の系図を纏めた「士林泝回」によると、舎人三河守重経が永禄6年(1563年)北条氏政に攻められ自害、子の重秀は同年に舎人城に住み北条氏に仕え、その子重良が尾張藩祖義直に仕えたとあります。重秀の弟の経長(熊之助?)は、それよりも早く家康の四男忠吉の忍藩時代に仕え、そのまま尾張藩士になっています。忍といえば成田氏の旧領ですが、成田分限帳には「舎人内蔵(100貫)、舎人茂左衛門(15貫)」があり、関係があるのかもしれません。気になる点は、永禄8年に太田氏が宮城氏に舎人郷をあてがっていることです。風土記稿で...
来月度の城主争い戦況
1位 真田勘解由長官影彪さん 82回
2位 よっしー左近衛少将さん 39回
3位 いつかは大宰大弐クラウンさん 34回
| 攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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