名称(よみ) | 宮城氏館(みやぎしやかた) |
通称・別名 | 伝宮城氏館 |
所在地 | 東京都足立区宮城1(宮城氷川神社) |
天気情報 |
11/25(月) 降水確率:0% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
分類・構造 | 平城 |
築城主 | 宮城氏 |
築城年 | 鎌倉時代後期 |
主な城主 | 宮城氏 |
遺構 | 消滅 |
再建建造物 | 石碑 |
2024/10/24 23:40 マグロ常陸介祐平
舎人氏館(推定地):先人様が位置登録された舎人氏館の推定地です。舎人氏は、江戸時代に尾張藩の重臣となっており、尾張藩士の系図を纏めた「士林泝回」によると、舎人三河守重経が永禄6年(1563年)北条氏政に攻められ自害、子の重秀は同年に舎人城に住み北条氏に仕え、その子重良が尾張藩祖義直に仕えたとあります。重秀の弟の経長(熊之助?)は、それよりも早く家康の四男忠吉の忍藩時代に仕え、そのまま尾張藩士になっています。忍といえば成田氏の旧領ですが、成田分限帳には「舎人内蔵(100貫)、舎人茂左衛門(15貫)」があり、関係があるのかもしれません。気になる点は、永禄8年に太田氏が宮城氏に舎人郷をあてがっていることです。風土記稿で...
2024/10/23 23:20 マグロ常陸介祐平
宮城氏館:氷川神社境内に建つ石碑によると、豊島氏の支流の宮城氏の居館とされています。遺構は見られません。宮城氏は、豊島氏が衰退いた後も生き残り、岩槻太田氏に仕えています。豊島一族の名門ということででしょうか、山角盛繁や松田康長など、北条氏の重臣クラスと姻戚となっています。子孫は秀忠の頃に400石の旗本となっています。新編武蔵風土記稿に屋敷蹟として「村の西、荒川の岸にあり、或は城跡とも呼ぶ。宮城宰相が居住の所なりと云う。三丁五段の地にて、今は畠となれり。村内性翁寺も古はここにありしと云。又此地の續に馬場跡と唱ふる地あり。これも調馬場の跡なりと云。今は、萱野となれり。」とあり、館は戦国期の宮城氏のものではな...
来月度の城主争い戦況
1位 真田中務大輔影彪さん 133回
2位 碧空左衛門佐旅人さん 80回
3位 いつかは勘解由長官クラウンさん 75回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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