名称(よみ) | 一之江名主屋敷(いちのえなぬしやしき) |
通称・別名 | 田島家屋敷 |
所在地 | 東京都江戸川区春江町2121-6他 |
天気情報 |
04/07(月) 降水確率:30% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 江戸川区教育委員会事務局教育推進課文化財係[電話] |
分類・構造 | 屋敷 |
天守構造 | なし |
築城主 | 田島(堀田)英丈 |
築城年 | 江戸時代前期 |
主な城主 | 田島氏 |
遺構 | 主屋、長屋門、横堀(空堀) |
指定文化財 | 都史跡(一之江名主屋敷)、区登録史跡(一之江名主屋敷) |
再建建造物 | 石碑、説明板 |
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一之江名主屋敷(いちのえなぬしやしき)は、東京都江戸川区春江町にある歴史的建造物。東京都指定史跡。江戸川区登録史跡[1]。
概要
当住宅は、江戸時代に当地に移り住み、一之江新田と呼ばれていた当地の開拓の主導的役割を果たした田島図書(ずしょ)英丈を祖とする田島家の旧居である。敷地面積は約2000坪[2]。
田島図書はもともとは堀田姓を名乗っていた武士出身の家系で、関ヶ原の戦いに参戦後関東地方へ入り、田島姓に改姓して当地の開拓に携わったと言われている。その後、江戸時代は田島家が代々当地の名主を務めていた。
現存する主屋は安永年間(1770年代)頃の建立とされ、当時の造りが良好に保存されている。主屋は寄棟造、茅葺、平屋建で、歴史的に見ても東京23区内でも貴重な建造物となっている。
また屋敷地には屋敷林や庭園などが備わったかつての農家の屋敷構えを良好に残している。1999年の整備の際に、かつての屋敷の姿により近いものにして、江戸時代の農家の屋敷の雰囲気を感じるものになった。
また当屋敷は1954年11月に東京都指定史跡に[3]、1981年1月に江戸川区登録史跡になった。
その後、建物の老朽化が激しくなってきたため、1989年から1993年にかけて建物の復元修理を行い、一般公開も始めた。
さらに1999年には、庭園や屋敷林の整備、2006年には屋根の茅葺の葺き替えを行った。
2011年からは江戸川区の所有になっている。
主な施設
- 主屋
- 屋敷林
- 屋敷畑
- 蔵
- 庭園
- 長屋門
- 屋敷神(稲荷神社)
所在地
- 東京都江戸川区春江町 2-21-20
関連文献
- 【書籍】「椿物語 」
2024/12/27 11:49 koba下総守
一之江名主屋敷:都営新宿線瑞江駅から徒歩14分の住宅街に有ります。近くにいなげやが有ります。受付で入館料100円を払い、屋敷の中に入ると、囲炉裏の火が赤々と燃えていました。茅葺き屋根を守るために、毎日燃やしているそうです。
2024/09/10 23:37 マグロ常陸介祐平
一之江名主屋敷:江戸時代初頭から一之江新田の名主を務めた田島氏の屋敷です。主屋は安永3年、長屋門も同時期に建立されており、都内では貴重な建物です。復元部分もあるようですが、長屋門の右側には水堀、屋敷の北側から西側にかけて空堀が見られ、中世の館のような雰囲気があります。先人様が、口コミされていますが、初代田島図書は、旧名を堀田図書盛重と伝わります。堀田図書は、豊臣家の家臣で黄母衣衆の1人として1万石を与えられ、秀頼の時代には大阪七手組の一人として大阪城に在番し、大阪夏の陣で野々村雅春と共に二の丸と本丸の間の石垣で自害したとされます。田島図書は、慶長11年に一之江の開拓を企て、寛永20年に亡くなっていますので辻褄...
来月度の城主争い戦況
1位 べぇ~隠岐守さん 64回
2位 対馬守Necoさん 61回
3位 琉球守らいむさん 50回
鹿骨鹿島神社(寺社・史跡)
鹿見塚神社(寺社・史跡)
大杉天祖神社(寺社・史跡)
春江天祖神社(寺社・史跡)
本高山城立寺(寺社・史跡)
一之江名主屋敷利用者駐車場(駐車場)
グリーンプラザ・江戸川区郷土資料室(関連施設)
展示室(関連施設)
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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