大蔵館(おおくらやかた)

大蔵館 投稿者:治部大輔ダイさん

城郭基本情報

名称(よみ) 大蔵館(おおくらやかた)
通称・別名 源義賢館、大蔵堀の内
所在地 埼玉県比企郡嵐山町大蔵522他
天気情報

11/24(日) 降水確率:20%
15℃[±0]2℃[-6] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 嵐山町産業振興課[電話
分類・構造 平城
築城主 源義賢
築城年 仁平2年(1152)
主な城主 源義賢
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、掘立柱建物跡
指定文化財 県史跡(大蔵館跡)
再建建造物 石碑、説明板
大蔵館は、8次にわたる発掘調査や館周辺の遺跡群の発掘調査、現存する考古資料などから、小館と大館の2つの構えが存在したことがわかっている。

現存するのは大館の跡で、土塁や空堀の配置状況から推定される規模が東西170、南北220メートルを測り、面積にして4万平方メートルに及ぶ。

一方、小館の跡は、発掘調査により遺構が確認されたものであり、一辺が70メートルの堀を方形にめぐらせた区画である。堀の内側には柵列のような柱穴列や掘立柱の建物跡などが確認された。しかし、大小の館が築かれ、存在した年代の詳細は明らかではない。

この地域の中世史は、大きく3期に分けて理解することができる。第1期は、12世紀代、すなわち史料に見る源義賢の年代である。第2期は、13世紀から14世紀前半代、この時期は周辺遺跡群や考古資料とも一致する大蔵の最盛期で、鎌倉街道大蔵宿の繁栄が背景にあったと予想される。

小館の堀は、この時期の終わりには完全に埋め戻されている。第3期は、15世紀以降、極端に出土品や考古資料が少なくなり、地域の衰退期と捉えることができるが、大館の普請が行われた時期と考えられる。

発掘調査によって判明した大小の館跡は、「鎌倉街道」と都幾川の河川交通の交わる大蔵宿の中心としての姿や、街道筋で南北朝~室町、戦国期に繰り返された多くの合戦の際にも、攻防の場、また拠点として利用されていた様相をうかがわせている。

嵐山町文化スポーツ課



城郭口コミ


2024/03/31 05:49koba下総守
大蔵館:大蔵神社の隣に、大蔵館跡があります。駐車場は無いので、路駐でした。

2024/01/07 22:30大納言Z周防守369
源氏三代供養塔:源義賢公の墓や源氏三代供養塔のあるこの場所は、駐車スペースがあります。大蔵館までは徒歩3,4分程度です。

城郭攻略情報


2024/08/03 10:30
高麗兵部丞頼尚(初陣)
つきのわ駅に停車中攻略!
2023/07/31 22:35
九曜紋東市正
東武東上線を寄居から池袋に移動中、武蔵嵐山をつきのわ駅に向け発車直後に攻略。
2023/07/17 18:11
あざらし肥前守
続日本100名城・菅谷館〜徒歩登城。(❜18・3攻略)
2019/05/18 17:40
下総守藤次郎
東武東上線:武蔵嵐山駅をつきのわ方面に発車直後に攻略!付近の4つの城は同時攻略できず、4回位置登録が必要。
2016/01/20 17:32
かわきち太政大臣
東武東上線武蔵嵐山駅にて。(SoftBank)

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 大黒屋図書頭総兵衛さん 107

 2位 埼玉ださん 78

 3位 主水正くろうさん 73

大蔵館の周辺スポット情報

 史跡大蔵館跡説明板(碑・説明板)

 源義賢公御廟堂(寺社・史跡)

 鎌形八幡神社(寺社・史跡)

 班渓寺(寺社・史跡)

 源氏三代供養塔(駐車場)

 源氏三代供養塔(関連施設)

 伝・木曾義仲産湯の清水(関連施設)

 

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