名称(よみ) | 青鳥城(おおどりじょう) |
通称・別名 | 石橋城 |
所在地 | 埼玉県東松山市石橋城山2104他 |
天気情報 |
04/07(月) 降水確率:20% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 東松山市埋蔵文化財センター[電話] |
分類・構造 | 丘城 |
築城主 | 伝・青鳥判官 |
築城年 | 室町時代 |
主な城主 | 北条氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 県史跡(青鳥城跡) |
再建建造物 | 石碑、説明板 |
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青鳥城(おおどりじょう)は、埼玉県東松山市大字石橋(武蔵国比企郡石橋村)にあった日本の城。県指定史跡。
立地・構造
- 比企丘陵と岩殿丘陵に挟まれた東松山台地上にあり、城の南方1kmには都幾川が流れている。
- 構造は城の南端に一辺約100mの方形の本郭があり、それを取り囲むように北に二の郭・三の郭が広がる。城全体の規模は東西約700m、南北約400mであり、中世城郭としては巨大なものである。
歴史・沿革
- 築城の年代は現在不明であるが、『太田道灌状』には文明12年(1478年)に、扇谷上杉定正と太田道灌が青鳥に在陣したという記述があり、この頃には城(あるいは城の原型となるもの)はあったと推定されている。
- 1560年代前半の松山城の攻防戦では、北条氏康方の城として機能したと思われる。なお、永禄2年(1559年)に成立した『小田原衆所領役帳』には狩野介が比企郡青鳥に、久米新左衛門が松山筋石橋にいたとしており、この頃の城主はこの二人のうちのどちらかであると考えられている。
- その後、廃城になる。
- 天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐において豊臣氏方の前田利家・上杉景勝らが後北条氏方の松山城を攻める際、前田利家は廃城となっていた青鳥城跡に陣を置いた。
- 近年、青鳥城が廃城になったのは16世紀後半ではなく、16世紀前半とする説が現れた。
アクセス
- 東武東上本線森林公園駅から徒歩30分
- 関越自動車道東松山ICからすぐ
参考文献
2024/11/17 21:03 左衛門佐マサ
青鳥城:朝の散歩中に発見❗️通りから入る場所に何の案内もなく、一般の方の家の横を通り数分歩くと、城跡が現れます。土塁等が残されているだけですが、一定規模の城が会ったことが伺える。
2024/10/13 13:00 伊藤中務卿龍一郎
青鳥城:城郭東側の重機レンタルの斜向かいに広い場所があったのでそこに駐車しました。すぐに立派な堀と土塁を見つけられますが、東側と北側には深い堀が立ち塞がり城郭中央部へ行く道が見当たりませんでした。南側は国道で西側に入り口あるのかもしれませんが時間が無かったので諦めました。どなたか中央部へ行く方法ご存知でしたらレビューお願いします。
来月度の城主争い戦況
1位 鬼武蔵守ハットさん 63回
2位 埼玉ださん 34回
3位 すなちゃん武蔵守さん 29回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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