名称(よみ) | 赤岩城(あかいわじょう) |
所在地 | 群馬県邑楽郡千代田町赤岩桜山1036他 |
天気情報 |
11/22(金) 降水確率:20% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
分類・構造 | 平城 |
築城主 | 佐貫嗣綱 |
築城年 | 鎌倉時代 |
主な城主 | 佐貫氏 |
遺構 | 曲輪、横堀(空堀) |
2024/07/19 23:18 マグロ常陸介祐平
舞木城:住宅地の公園にお城の説明板と「藤原秀郷公生誕之地」の石碑が建っています。日本城郭大系には、小学校が城跡で、南にわずかに堀を残すだけとありますが、付近に小学校はありません、廃校になったのでしょうか。周囲に遺構は見られません。大袋城の赤井照光が親類(甥)の舞木城主俵秀賢へ年始参りに行く途中に助けた子キツネに導かれて館林城を築いたとされており、俵藤太秀郷の子孫である俵(田原)氏が城主とされています。石碑の裏面には、文字がびっしりと書かれていますが、内容は秀郷の功績で、城に関しては唐沢山城についてとなっています。石碑の文字を揮毫したのは皇道派の代表格で犬養・斎藤内閣で陸軍大臣、近衛・平沼内閣で文部大臣...
2024/07/18 23:55 マグロ常陸介祐平
中島将監館:「藤原秀郷公誕生之地」の石碑の建つ舞木城から2kmほど北にある館です。土塁の痕跡に見えなくもない土盛りに「中島将監屋敷」の石碑が建っています。石碑の裏面には長文となりますが「中島将監屋敷跡は、面積約一町歩(一ヘクタール)、西南は用水路で区画され(昔は溝堀)、北西には溝堀の旧跡がある平林でしたが、明治四十一年(1908)に畑地になったといわれています。ここに、宝亀年間(770~781)頃、中島三郎太郎家綱という郷士が住み、富子という美しい娘がいました。その頃、都から藤原小黒麻呂が諸国巡検のために上野国に入り、この中島館に滞在しました。その時、富子との間に知勇兼備の男子が生まれ、やがてその子孫が広...
来月度の城主争い戦況
1位 1日8000歩大蔵卿さん 194回
2位 ピラいち関白さん 157回
3位 麒麟十兵衛二世さん 156回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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