中里城(なかさとじょう)

中里城 投稿者:副将軍お城エリコさん

城郭基本情報

名称(よみ) 中里城(なかさとじょう)
所在地 青森県北津軽郡中泊町中里字亀山741他
天気情報

11/22(金) 降水確率:60%
11℃[±0]-1℃[-2] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 青森県文化財保護課[電話
分類・構造 平山城
築城主 不明
築城年 縄文時代〜15世紀
主な城主 安東氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸跡、竪穴建物
指定文化財 県史跡(中里城遺跡)
再建建造物 石碑、説明板
中里城(なかさとじょう)は青森県北津軽郡中泊町にあった城。

中里町の中心部に位置する中里城遺跡は、古くから「館っこ」「お城っこ」として伝えられてきた。「貞享の絵図」(1684年作製・中泊町博物館蔵)、「陸奥国津軽郡田舎庄中里村御検地水帳」(1687年作製・弘前市立図書館蔵)などの記録には、「古城」「古館」という記載が見られることから、少なくとも江戸時代前期には城跡として知られていたことがわかる。

本遺跡に最初の痕跡を残したのは、縄文時代前期(約5,500年前)の人々である。動物を獲るための石製の矢じりや、落とし穴などが発見されており、縄文時代には狩猟の場として利用されていたと考えられる。

平安時代半ば(10世紀中頃:約1,000年前)には、津軽平野の本格的な開拓がはじまり、多くの古代集落が成立した。中里城遺跡においてもそのころの集落(ムラ)跡が確認されている。集落はおよそ100年間断続したと考えられ、カマドや炉をもつ竪穴建物(住居)跡が80軒あまり(一時期10軒程度)発見されている。

後半の時期(11世紀中頃:約900年前)になると、ムラを取り囲むような空壕・土塁・柵列などの区画施設が出現する。このようなムラを「古代防御性集落」と呼び、北海道南部より東北地方北部にかけて数多く分布することが知られている。中里城跡史跡公園は、当時の集落の様子を復元したものである。

室町時代(15世紀前半:約550年前)には、安藤・南部両氏の武力抗争を背景に、城(館)として利用されていたと考えられる。中国製の青磁・白磁ほか日本各地でつくられた陶磁器などが発見されているが、その後まもなく廃城となった。

数多の伝承は当城の主について新関又二郎、高坂修理、中里半四郎などの名を今に伝えている。

情報提供:中泊町博物館



城郭口コミ


2024/01/28 16:54クルス秋田城介トッツィー
中里城:津軽中里の駅からも比較的近く、冬でなければ行きやすいと思います。主郭にある展望台からの下界の眺めは、なかなかです!

2021/05/04 21:10tk
中里城:中里城の案内は中里駅から道なりに斎場入口の看板が有り右折車で5分程度です。

城郭攻略情報


2023/08/03 10:02
あざらし肥前守
公共交通:一例(北海道から)函館〜18キップとオプション券を使用し、木古内まで道南いさりび鉄道、新幹線で奥津軽いまべつ駅へ。奥津軽いまべつ〜予約制乗合タクシーで津軽鉄道津軽中里駅へ行く途中、2400円。(❜21・9攻略)
2022/09/08 13:54
琉球守風のこうちゃん播守
弘南バス・五所川原小泊線「嘉瀬南口」→「自動車学校前」バス停間で攻略!!
2018/10/30 16:54
COMY
つがる市から県道12号を北上。地図上で田光沼の半分くらいに来たあたりで取れた。亀岡石器時代遺跡、田小屋野貝塚からだと3km程度北上した辺り。
2018/10/30 09:28
征夷大将軍クララ姫
国道339号線を竜飛岬方向へ北進、五所川原市金木町『津軽三味線会館』付近から入り始めます。芦野池まで行けば安定攻略です。
2018/09/14 10:51
旅人ワコーレ大納言
津軽中里駅前で攻略です。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 忍び胆振守さん 50

 2位 レオ左近将監さん 46

 3位 カッサ〜さん 27

中里城の周辺スポット情報

 甲子塚(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

 史跡公園駐車場(駐車場)

 

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