奥平城(おくだいらじょう)

奥平城 投稿者:坂東武者A下野守さん

城郭基本情報

名称(よみ) 奥平城(おくだいらじょう)
所在地 群馬県高崎市吉井町下奥平
天気情報

05/06(月) 降水確率:40%
23℃[-7]14℃[±0] 詳細

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問い合わせ 高崎市文化財保護課[電話
分類・構造 丘城
築城主 奥平氏
築城年 応永年間(1394〜1428)
主な城主 奥平氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、屋敷跡
指定文化財 市史跡(奥平城跡)
再建建造物 碑、説明板
奥平城(おくだいらじょう)は群馬県高崎市吉井町にあった城。

概要 

鏑川北の丘陵地を貫流する申田川の岸に広がる、幅約700m、長さ2.5km程の平地の中央に位置する。

立地・構造 

城は西の丘陵に接し、両側が川に囲まれた地に造られている。城の東北側の申田川を渡った地域は、武家の居住区と考えられる九台(くだい)で、屋敷跡が多い。

ここは周囲を申田川と宝性寺境の空堀、背後の丘陵に囲まれている。その内の南北80m、東西200mが城となっている。上下2段からなり、東部が数m低い。

追手は両者の間にあって北面に開き、西の外郭を武道原という。2つの川の合流点を今も「止め場」と呼ぶのは、ここを堰き止めて水を溜め、要塞とした証拠である。

一段下がった南東部は腰巻、大手は東方にあり南より登って本丸に入る。

本丸西面に搦手の食い違い土塁があった。水の手は城内に川久保城谷の井戸が1つ、九台の北方に二つ井(井戸谷)南の桜沢を渡ったあたりに銀(しろがね)の井があった。周囲には溜め池も多い。

歴史・沿革 

奥平城は奥平氏の居城であり、奥平氏は鎌倉初期氏行が甘楽郡司となってから代々ここに住み、系譜が残されている。

初代から7代まで奥平に住み、8代定俊は天授年間(南朝年号1375~1380)三河国作手に移った。

その後も縁者がこの地に残ったが、永禄6年(1563)武田信玄に攻められ落城した。

地区内の主な呼称としては殿山、武道原、腰巻、徒(かち)坂、姥坂、止め場、おくり(御庫裏)、文治屋敷、松屋敷、新屋敷、吉右衛門屋敷等がある。

参考文献 

・高崎市公式サイト(https://www.city.takasaki.gunma.jp/)。

情報提供:高崎市教育委員会



城郭口コミ


2021/05/22 09:56桑風迷走
奥平城:城跡は、現在、個人所有ですので、見学には注意しましょう。

2021/05/06 19:12見城
奥平城: 県道吉井安中線を車で西へ進むと、奥平城の看板のある畑の入り口に車1台分のスペースがあり、止めさせてもらいました。 奥平城郭は高台にあり、縄張り図をみると申田川と桜沢の合流地点まで平郭があったと日本城郭大系に記されています。 平郭は一段低くなっており、南側の高台から攻め込まれ易いと考えた場合、南側高台は奥平城郭の守りの一部になっていたのではないかと想像しました。 本丸は竹深いエリアで侵入することは断念しましたが、キジが何かに追われて飛び出して現れました。・平郭から見上げた西の高台は現在は畑。先人様の仰られるように物見台を想像します。・本丸へ向かう入り口・高台の城郭・現在の城郭入り口 石碑と説明...

城郭攻略情報


2023/12/29 11:47
のほほん左近衛少将
上信電鉄吉井駅にて攻略です🚃
2023/07/23 08:04
江戸くまモン武蔵守特急有明
馬庭駅と吉井駅間で攻略。
2023/07/18 21:47
あざらし肥前守
公共交通:一例上信電鉄吉井駅。一日フリー乗車券利用、高崎⇔下仁田の往復料金と同額設定、下仁田まで行って戻り上州富岡・吉井で降り自転車で周辺攻略、これを通常きっぷで行うよりは500円程度安価。(❜18・3攻略)
2022/02/04 19:36
よっしっし左衛門督
国道254号線、吉井駅付近で攻略できました。
2021/07/18 07:58
Forum2107播磨守
県道41号ローソン吉井インター店で入ります

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 伽羅奢伊予守さん 29

 2位 廻船丼備前守さん 28

 3位 【】大[中]小上総介さん 14

奥平城の周辺スポット情報

 本丸跡(遺構・復元物)

 奥平城跡説明板(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 

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