名称(よみ) | 阿波崎城(あばざきじょう) |
所在地 | 茨城県稲敷市阿波崎2316他 |
天気情報 |
05/06(月) 降水確率:30% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 稲敷市歴史民俗資料館[電話] |
分類・構造 | 丘城 |
築城主 | 北畠親房 |
築城年 | 延元3年〔南朝〕/暦応元年〔北朝〕(1338) |
主な城主 | 北畠親房 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀) |
指定文化財 | 県史跡(阿波崎城跡) |
再建建造物 | 石碑、説明板 |
2023/12/03 21:27 国府左京大夫城介
神崎城(東の城):利根川沿いに築かれた千葉では珍しい一城別郭の城【歴史】鎌倉時代の中頃に、神崎師時(千葉常胤の曾孫)が築いたと伝わる。神崎(こうざき)氏は千葉胤正の七男の家系で、宝治合戦(1247年)の後に、神崎師時が香取郡神崎庄を賜ったことから、神崎氏と名乗るようになった。室町時代になると、千葉氏の直臣となっており、上杉禅秀の乱や永享の乱などに参戦している。小田原征伐の時には、千葉氏に従い、湯本口を守っている。小田原落城後の神崎氏の動向は不明だが、江戸時代中期に千葉氏の再興活動をしていた千葉祥胤が、下総大須賀郷を訪れた際に、神崎胤資と面会しており、その際に神崎氏の家系図を与えたという。【遺構】神崎城は「東の城...
2023/08/27 01:00 RED副将軍
阿波崎城:後醍醐天皇の側近であった北畠親房の転戦の拠点🏯オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎1338年に北畠親房により築城。北畠親房は、南朝を樹立した後醍醐天皇の側近。1338年に鎮守府大将軍として活躍した嫡男の北畠顕家や官軍総大将の新田貞義が相次いで討死。南朝方の勢力挽回のために次男の北畠顕信を鎮守府将軍に任じ、義良親王・宗良親王を奉じて伊勢国から奥州に海路で向かいました。しかし、遠州灘にて暴風に遭い、北畠顕信と義良親王の舟は伊勢に引き戻され、北畠親房は常陸国東条浦に漂着。北畠親房は南朝方の東条氏に迎えられ小田氏の神宮寺城に籠もり、南朝勢力の地盤を築こうとしましたが、北朝方の佐竹氏や大掾氏に攻められ神宮寺城...
来月度の城主争い戦況
1位 てんてんさん 5回
2位 豊久さん 3回
3位 Argus4w21sさん 2回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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