月居城(つきおれじょう)は、常陸国久慈郡袋田(現在の茨城県久慈郡大子町袋田)にあった日本の城(山城)。別称を袋田城ともいう。
日本三名瀑の一つとして著名な袋田の滝のすぐ北東にそびえる月居山(標高404m)の山頂に築かれた山城であり、常陸国から奥州(白河・南郷方面)や下野国(那須方面)に通じる街道を監視する軍事・交通の要衝であった。
概要・立地
月居城は、久慈川支流の滝川(袋田川)北岸に位置する月居山の急峻な山塊を利用して築かれている。月居山は北峰の山王山(標高420m)と南峰の月居山(標高404m)からなる双耳峰で、その鞍部には月居峠が通る。城郭の主要部は南峰の月居山山頂を中心に展開しており、山麓からの比高は約280mに達する。
周囲は断崖絶壁と険しい岩場に囲まれた天然の要害であり、山頂からは久慈川流域や大子の盆地を一望できるため、領境の監視および狼煙連絡網の結節点として極めて重要な位置を占めていた。
歴史・沿革
築城と袋田氏の支配
築城は応永年間(1394年 - 1425年)頃と伝えられる。常陸国守護である佐竹氏の庶流・北酒出氏(佐竹隆義の子・北酒出助義、またはその養子・北酒出季義)の系統とされる袋田定義が、久慈郡袋田の地を領して築城し、地名にちなんで袋田氏を称したことに始まる(山入師義の系統とする異説もある)。
袋田氏は代々月居城に拠って袋田一帯を治めたが、戦国時代前期、同じく佐竹氏の一門である小田野氏(小田野自義の後裔)の当主・小田野義広に男子の継嗣が不在となった際、袋田駿河守義舜の子である小田野義継(義綱)が義広の婿養子として迎えられ、小田野氏の名跡および所領(頃藤・小田野等)を継承した。これにより、袋田氏はその血脈を小田野氏に伝えながら単独の家名としては絶家となり、主なき月居城は一時廃城となったとされる。
白河結城氏の占領と佐竹義舜による奪還
月居城のあった依上保一帯は、室町時代中期に佐竹氏の分家である山入氏の勢力下に入っていたが、佐竹宗家と山入氏が激しく争った山入の乱(山入一揆)の混乱に乗じて、陸奥国の有力領主である白河結城氏(白川結城氏)が南下して依上保に侵攻した。これにより同地は白河結城氏に奪われ、約40年もの長きにわたり白河領として支配された。
永正元年(1504年)、太田城を山入氏から奪還して山入の乱を終息させた佐竹宗家第15代・佐竹義舜は、北方領土の回復に乗り出して白河結城氏を駆逐し、依上保の奪還に成功した。義舜は月居城を佐竹領北方の軍事要衝として再興し、佐竹氏庶流の高柿氏(高柿康信・久高ら)を在番衆として配置した。
那須氏の侵攻と石井氏の防戦
戦国時代中期、月居城は下野国の戦国大名・那須氏や白河結城氏との抗争の最前線となった。佐竹氏が下野国那須郡へ出兵した間陣の隙を突いて敵軍が侵攻した際、佐竹氏家臣の石井氏(石井信忠ら)が月居城に籠城し、峻険な地形を利して敵の猛攻を防ぎ止めたと伝えられる。
野内氏の城主就任と前線基地化
その後、月居城には相川館(現・大子町相川)を拠点としていた佐竹氏の重臣・野内氏(野内大膳亮忠時、野内備前守、野内大学ら)が城主として入城した。永禄10年(1567年)には佐竹義重から袋田・生瀬一帯の所領安堵を受けており、野内氏は代々城主を務めて奥州(南郷・白河)攻略の軍役負担と前線基地の役割を担った。
廃城と月居氏への改姓
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、慶長7年(1602年)に佐竹氏が出羽国(秋田藩)へ減転封されると、城主であった野内大膳亮忠時父子もこれに従軍して常陸を去った。これに伴い、月居城は役目を終えて完全に廃城となり、江戸幕府の一国一城令もあって再建されることはなかった。
なお、秋田転封後に野内氏は出羽国大館に移住したが、後に主家(佐竹家)に願い出て、かつて守備した故郷の居城の名にちなみ「月居氏」を称するようになった(文政11年(1828年)の改姓伝承など)。
城郭構造・縄張り
月居城の遺構は、月居山南峰の山頂部を中心に良好に残存している。
- 主郭(本丸):山頂最高所に位置し、南北約40m、東西約15mの細長い削平地である。周囲は鋭い切岸となっており、山頂には後世に建立された「月居城跡」碑が立つ。
- 曲輪群:主郭の南北尾根沿いに数段の帯曲輪・腰曲輪が段状に造成されている。北側の鞍部(月居峠)方面からの尾根道や南側の岩場に対処する配置となっている。
- 岩盤堀切:主郭の南側尾根には、天然の険しい岩盤地形を巧みに利用した巨大な堀切状の断絶が存在し、敵の尾根伝いの侵入を遮断している。
- 水の手(井戸跡):月居峠付近や山腹の谷筋には湧水点があり、籠城時の水源として確保されていたと伝わる。
史跡・関連施設
- 「月居城跡」碑:月居山山頂に建立された石碑。野内氏・月居氏の子孫らによって建立され、築城から廃城、秋田転封に至る歴史が刻まれている。
- 徳川斉昭歌碑:幕末の水戸藩主・徳川斉昭(烈公)が月居山を訪れた際、かつての月居城を偲んで詠んだ和歌(「尋ねれば人は昔の名のみにて雲井の月ぞすみ渡りける」)の碑が月居峠付近に建立されている。
- 月居観音堂:月居峠近くに位置する観音堂。大同2年(807年)創建と伝えられ、源義家(八幡太郎)が奥州征討の際に戦勝祈願に参籠したという伝説が残る。
- ハイキングコース:現在、城跡は袋田の滝、生瀬滝、月居山を結ぶハイキングコースとして整備されており、四季を通じて多くの登山客・ハイカーが訪れる。
参考文献
- 大子町史編さん委員会編『大子町史 通史編 上巻』大子町、1988年。
- 平凡社編『日本歴史地名大系 第8巻 茨城県の地名』平凡社、1982年。
- 児玉幸多・坪井清足監修『日本城郭大系 第4巻 茨城・栃木・群馬』新人物往来社、1979年。
- 中山信名編『新編常陸国誌』積善館、1899–1901年。
- 大内政之介『佐竹秘史 -反逆者の系譜- 上巻』筑波書林、1986年。
- 関谷亀寿『茨城の古城』筑波書林、1980年。