多良崎城(たらざきじょう)

多良崎城 投稿者:昌幸近江守晩秋リア旅さん

城郭基本情報

名称(よみ) 多良崎城(たらざきじょう)
通称・別名 足崎城、多良崎要害、多良崎館
所在地 茨城県ひたちなか市足崎字館990
天気情報

11/22(金) 降水確率:20%
19℃[+5]7℃[-3] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ ひたちなか市文化振興室[電話
分類・構造 丘城
築城主 吉田里幹
築城年 鎌倉時代
主な城主 多良崎氏、足崎氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(多良崎城跡)
再建建造物 石碑、説明板
室町時代の始まりのころは、天皇が2つの系統に分かれて(これを南北朝という)全国的に争いが多く、常陸国も小田氏、常陸大掾氏などの南朝方と佐竹氏を中心とした北朝方が対立して南北朝の戦いの激しい土地だった。

市営高野墓地付近の大字足崎にこの時代の城館跡である「多良崎城跡」が所在している。

現在では水田を見下ろす台地上に位置しているが、もとは真崎浦と呼ばれた沼地が広がっており、天然の要害として適した地であったと考えられている。近年の研究によると、この城は鎌倉時代末期に、常陸大掾氏一族である吉田里幹の後裔が築城したとされているが、南北朝の騒乱で南朝方についた常陸大掾氏一族は没落してしまい、その後には北朝方についた那珂氏系の足立氏が多良崎郷の地頭となったようで、騒乱の内に支配者が入れ替わるなど争いの激しさが伺える。

また、足立氏については南北朝の騒乱が記録された『太平記』によると、足利尊氏の重臣である高師泰の軍に加わり勇猛な家臣として評価されていたようだ。

多良崎城跡は数百年経った現在でも残存状態がよく、虎口(入り口)、本曲輪、土塁、掘切、二の曲輪、三の曲輪、木戸跡、隅櫓跡などがほぼ完全な姿で残っており、当時の築城様式を知る上で重要な城跡であるため、昭和50年に市の史跡に指定を受けた。

情報提供:ひたちなか市教育委員会



城郭口コミ


2022/09/13 21:20里のシロクマ侍従
多良崎城:訪城は、2度目。2018年6月、15時過ぎ風があり曇り空でした。Ⅳ曲輪の狼煙台付近で杖をついたお爺さんとすれ違いました、突然の出現に驚いた思い出があります。室町時代、沼地の台地を利用し作られた城、I曲輪とⅡ曲輪の間、Ⅱ曲輪とⅢの間に、土塁と堀が確認できる。雰囲気のある土の城良いですね。

2021/04/13 20:47左衛門督陵太郎
多良崎城:城跡まで連続カーブは本当に危ないです。また心霊スポットとしても有名なので合わせて注意して下さい。

城郭攻略情報


2024/01/10 15:02
のほほん左近衛少将
JR常磐線上り方面東海駅にて2城同時に攻略です🚃
2023/07/26 09:49
あざらし肥前守
ひたちなか市新光町、ファッションクルーズニューポートひたちなか。(❜18・5攻略)
2022/12/11 13:18
右近衛中将黒熊
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2022/09/24 22:47
きほ胆振守@羽柴軍稲葉隊
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2020/12/21 18:23
琉球守風のこうちゃん播守
JR常磐線「勝田」→「佐和」駅間で攻略!

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 陸奥守カエサルさん 149

 2位 貴島ゆうじさん 108

 3位 ぐっさん織部正さん 106

多良崎城の周辺スポット情報

 城趾碑、説明板(碑・説明板)

 清水城(周辺城郭)

 

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