小高城(おだかじょう)

小高城 投稿者:INO【兒】蔵人頭さん
icon

00時間

52

icon

城郭基本情報

名称(よみ) 小高城(おだかじょう)
所在地 茨城県行方市小高御城
天気情報

07/06(日) 降水確率:40%
32℃[+1]24℃[+1] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
分類・構造 平山城
築城主 小高為幹
築城年 建久3年(1192)
主な城主 小高氏、北義憲、大山義則
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建建造物 説明板

城郭口コミ


2025/06/13 00:01マグロ常陸介祐平
古屋城:小高城から北西に600m、行方城から南に約1km、曹源寺(写真1,2枚目)の東に隣接します。お城の来歴や城主などは伝わらないようですが、曹源寺が下河辺氏の創建であることから下河辺氏のお城とする説や行方氏、小高氏の城とする説もあるようです。曹源寺自体は、当初の下河辺氏のお城があった船子に創建され、永禄元年(1558年)に下河辺氏の居城である行方城(八甲城)の二の丸(曲輪Ⅱ)の外に移り、佐竹氏が常陸を去り、行方城が廃城になった後の慶長13年(1608年)に現地に移転しています。墓域には中世のものと思われる下河辺義親の供養塔(写真3枚目)がありますが、お寺と共に移転したのでしょうか。お城は単郭です。...

2025/06/11 22:43マグロ常陸介祐平
行方城:平安時代末期に、吉田大掾清幹の子の忠幹が郡司としてこの地に居住し、行方氏を名乗ったのが始まりとされます。その子の景幹は源平合戦で屋島にて戦死し、論功としてその子らは行方、嶋崎、麻生、玉造を分知され、それぞれ領主となっています(東京都大田区の行方氏も一族かもしれません)。行方氏はその後、小高城を築いて移り小高氏を名乗って、行方城は一旦廃城になります。室町期になると、永享の乱に敗れ、関宿城から船子城に移った下河辺義親が行方城を改修し、八甲城と改名して代々居城するも、天正18年の小田原出陣を拒否して佐竹氏に攻められ下河辺氏は滅亡、佐竹氏の重臣荒尾尾張守の居城となるも、慶長7年の秋田移封により廃城とな...

城郭攻略情報


2025/02/11 10:31
太政大臣ソノリティ
JR鹿島線の延方駅から広域バス鹿行北浦ラインあそう温泉行きに乗れば、バス乗車中に攻略できます。
2024/08/26 09:48
T-常陸介10000
しかし、本日2024.8.26,無事攻略出来ました。今回は、石岡駅から新鉾田駅行きのバスで『玉造中学校下』というバス停まで向かい、約45分程で、この場所が国道354号線、県道116号線、県道183号線の交わる交差点で、ここで降り、県道183号線方向に歩いて行きました。35分程歩くと、行方市市営バスのリカーフーズはこや前というバス停と手賀ガソリンスタンドに辿り着きます。この場所から更に5分程のガードレールが曲がり始める付近で攻略・リベンジが出来ました。ちなみに、行方市市営バスは、1日の本数がほぼ無く、玉造駅での接続はありませんので、ご注意を。自分の感想として、おそらく茨城県の攻略で1番難しい場所...
2024/08/26 09:40
T-常陸介10000
先日、先達の皆様からの教えの通り、麻生地区から周り麻生高校前の校門、近くの脇道を入って行きましたが、帰りの高速バス丿時間もあり、断念しました。
2024/06/21 17:37
チテイジン武蔵守
先達の教えを元に麻生庁舎バス停から北上しました。攻略範囲が狭くなったのか高校の正門は勿論、脇の細道の端まで行っても攻略できず。結局城から4.6kmの所まで歩いて北上しました。具体的な場所は㈱IHI建材工業茨城第二工場の入口付近です。
2023/07/23 10:08
常陸介はるか
西蓮寺にて攻略。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 くりたさん 14

 2位 しのぶさん 8

 3位 長富安房守有真朗さん 8

小高城の周辺スポット情報

 中城(遺構・復元物)

 説明板(碑・説明板)

 船子城(周辺城郭)

 手賀城(周辺城郭)

 行方城(周辺城郭)

 人見館(周辺城郭)

 諏訪館(周辺城郭)

 古屋城(周辺城郭)

 小高福岡の観音様(寺社・史跡)

 養徳寺(寺社・史跡)

 登城口(その他)

 

to_top
気に入った!しました