名称(よみ) | 海老ヶ島城(えびがしまじょう) |
所在地 | 茨城県筑西市松原字城ノ内 |
天気情報 |
11/22(金) 降水確率:40% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
分類・構造 | 平山城 |
築城主 | 結城成朝 |
築城年 | 寛正2年(1461) |
主な城主 | 海老原(結城)氏、海老ヶ島氏 |
廃城年 |
慶長7年(1602) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
2024/10/28 21:50 マグロ常陸介祐平
大島城:茨城県の中世城館によると、現在見られる遺構は、真壁氏によって作られた可能性があり、慶長7年(1602年)に佐竹氏が秋田へ移封の際に廃城になったとされるようです。小田氏と佐竹氏が争奪戦を行った北西に3kmに位置する海老ヶ島城の攻略拠点もしくは海老ヶ島城と小田城を結ぶ中継点として早い時期に築かれた可能性を指摘しています。お城は田園の中の微高地で、細い用水路に囲まれた大島の集落が城域となるようです。南北になった3つの曲輪で構成され、曲輪を区切る堀の痕跡の一部が残るようですが、わかりませんでした。写真の場所は、横矢掛かりの痕跡と思われます。
2024/10/27 00:10 マグロ常陸介祐平
石田館(推定地):宇多天皇の勅命により平姓を賜り臣籍降下した桓武天皇の曾孫平高望の長男国香が、居住したと伝わる館の推定地です。現在は長光寺が建っており、説明板がありますが、遺構は見られません(写真1,2,3枚目)。一族の抗争の中で、平将門に攻められ、国香はこの館で命を落とします。いわゆる承平・天慶の乱の発端となった事件です。その後、嫡男の貞盛は藤原秀郷と共に将門を討ち、子孫は平清盛へと続きます。近くには平国香の墓が2つあり、墓①は古墳の石室の部材を集めて立てたような感じで、民家の庭の奥にあります(写真4,5枚目)。墓②は小さな自然石のような感じで、畑の中にあります(写真6,7枚目)。前回訪問した際は、説明板のみ...
来月度の城主争い戦況
1位 とととさん 84回
2位 ☆さん 76回
3位 ☆さん 76回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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