加倉井館(かくらいやかた)

加倉井館 投稿者:いえろーまん左京大夫さん

城郭基本情報

名称(よみ) 加倉井館(かくらいやかた)
所在地 茨城県水戸市加倉井町909
天気情報

11/22(金) 降水確率:20%
18℃[+5]3℃[-3] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 妙徳寺[電話
分類・構造 平城
築城主 波木井実長
築城年 正安年間(1299〜1302)
主な城主 加倉井氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建建造物 石碑
加倉井館(かくらいやかた)は、茨城県水戸市加倉井町にあった日本の城。

立地 

加倉井館は、鶏足山塊南側の標高約42mの丘陵地上に位置する。館周辺の丘陵地は桜川の本支流に開析された谷が入り込んだ鋸歯状の高台地形となっており、加倉井館もこうした高台の1つに占地し、谷地との比高差は10~15mを測る。現在は妙徳寺の寺域となっている。

構造 

規模は東西約220m、南北約110mの長方形を呈する。城域の北側と東側に二重の土塁と堀が残る。西側・北側は近世期の土地利用によって土塁・堀が削平されたが、堀1条の底部が残存しているため城域の四至は明確である。本来は二重土塁と堀が館を囲繞していた単郭の方形館であった。

歴史 

加倉井館は加倉井氏の居城であった。13世紀末、甲斐に出自を持つ波木井実氏が館を築いたとされる。4代後の通久の代に加倉井氏を名乗り、江戸氏重臣となった。館は天正18年(1590)の佐竹氏による水戸進出により廃城となり加倉井氏は帰農した。館跡には、加倉井氏が代々帰依した妙徳寺が移転し現在に至っている。

参考文献 

『茨城県の中世城館』

情報提供:水戸市教育委員会



城郭口コミ


2022/06/30 21:48マグロ常陸介祐平
加倉井館:城址のある妙徳寺は、現在の場所に1408年からあるようですので、主の加倉井氏とお寺は曲輪内に同居していたようです。加倉井家の初代は、日蓮上人の弟子でもある波木井実長の次男実氏で、妙徳寺は実氏の母の菩提寺として建立された水戸地区最初の日蓮宗寺院とのことです。室町~戦国期まで江戸氏の有力な家臣だった加倉井氏は現在も続いているようで、境内の墓地には南部光行からの略系図を刻んた墓碑が見られます。山門の前には堀の跡と思われるコンクリートの溝、寺の背後には土塁と空堀が残っています。

2017/07/25 16:05
加倉井館:お寺の裏から、民家の裏口にかけて土塁と空堀が確認できます。赤塚駅、水戸駅からバスで行けます。

城郭攻略情報


2023/07/25 15:24
あざらし肥前守
公共交通:一例常磐自動車道、高速バス乗車中。(❜18・5攻略)
2023/07/15 08:40
観津尾侍従
JR常磐線「内原」で攻略できました!
2023/07/09 14:59
常陸介はるか
大塚池公園にて攻略。
2020/12/23 22:26
琉球守風のこうちゃん播守
JR常磐線「水戸」→「赤塚」駅間で攻略!
2020/03/21 13:34
桜井太政大臣静龍
常磐線特急ひたち(上り)、赤塚駅と常磐自動車道の間らへんで攻略。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 軍神磐城守さん 142

 2位 すよん陸中守さん 122

 3位 アライッペ常陸介さん 109

加倉井館の周辺スポット情報

 土塁(遺構・復元物)

 

to_top
気に入った!しました