名称(よみ) | 轟城(とどろくじょう) |
通称・別名 | 畠山重慶城 |
所在地 | 栃木県日光市轟 |
天気情報 |
04/04(金) 降水確率:30% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 日光市教育委員会事務局文化財課文化財保護係[電話] |
分類・構造 | 丘城 |
築城主 | 畠山重慶 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 畠山重慶 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 市史跡(轟城跡) |
再建建造物 | 説明板 |
2025/03/26 21:10 マグロ常陸介祐平
轟城:畠山重忠の末子、畠山重慶がお城の主と伝わります。一族は元久2年(1205年)の畠山重忠の乱で滅びますが、重慶は僧籍に入っていた為か、生き残っています。吾妻鏡には、建保元年(1213年)日光別当より、阿闍梨重慶が日光山麓で謀反を企てていると幕府に通報があり、三代将軍源実朝は、長沼宗政に生け捕りを命じるも首を持参した為、実朝は不快に嘆息したとあるようです。お城は、土塁に堀が囲む単郭方形の中世豪族の居館の作りとなっています。四方を土塁が囲み(写真8枚目)、南側と東側は川を利用した水堀(写真2枚目)、西側は現状空堀ですがかなりぬかるんでおり、水堀かもしれません。北側は急斜面となっており、虎口は北側を除...
2022/12/28 11:10 会津LOVE下野守智ぞう
板橋陣屋:もともとは板橋城の居館があったところと云われている。板橋陣屋は上野国三ノ倉城主であった大給松平近正が関ヶ原合戦のとき、伏見城で討死した功により、その子松平一生が一万石に加増され板橋藩となった。元和3年(1617年)松平成重のとき、三河国西尾二万石に加増転封となり廃城となった臨戦時には板橋城を使うが、普段は城主も板橋陣屋の居館にいる事が多かったらしい板橋集落センターが立っており線路で分断されたり畑になったりでほとんどの遺構が破壊されたと思われる。線路に分断された激藪に何かあるかと思われるが、整備される様子もなさそうだし不明写真は板橋城上から板橋陣屋全体を写してみました
来月度の城主争い戦況
1位 下野足軽さん 32回
2位 たかちりさん 16回
3位 ❖天月内匠頭愛羅さん 8回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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