轟城(とどろくじょう)

城郭基本情報

名称(よみ) 轟城(とどろくじょう)
通称・別名 畠山重慶城
所在地 栃木県日光市轟
天気情報

05/03(金) 降水確率:10%
23℃[+6]7℃[-2] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 日光市教育委員会事務局文化財課文化財保護係[電話
分類・構造 丘城
築城主 畠山重慶
築城年 不明
主な城主 畠山重慶
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(轟城跡)
再建建造物 説明板
鎌倉時代築造の典型的な中世豪族の居館跡。規模・形式・遺構残存状態など良好である。

城跡は標高310mの鬼怒川右岸に発達した河岸段丘上に位置し、土塁の東南面は梅ケ沢まで25mほどの急崖、北西面は下の段丘面まで20mほどの急斜面、平地と接続する北東面と南西面は、幅3~4m、深さ2~3mの水壕をめぐらし、土塁の高さ1.5m~2.5mほどである。

畠山重忠の末子重慶が拠ったと伝えられている。

情報提供:日光市教育委員会事務局文化財課



城郭口コミ


2022/12/28 11:10高尾山団子下野守智ぞう
板橋陣屋:もともとは板橋城の居館があったところと云われている。板橋陣屋は上野国三ノ倉城主であった大給松平近正が関ヶ原合戦のとき、伏見城で討死した功により、その子松平一生が一万石に加増され板橋藩となった。元和3年(1617年)松平成重のとき、三河国西尾二万石に加増転封となり廃城となった臨戦時には板橋城を使うが、普段は城主も板橋陣屋の居館にいる事が多かったらしい板橋集落センターが立っており線路で分断されたり畑になったりでほとんどの遺構が破壊されたと思われる。線路に分断された激藪に何かあるかと思われるが、整備される様子もなさそうだし不明写真は板橋城上から板橋陣屋全体を写してみました

2022/12/28 09:02高尾山団子下野守智ぞう
板橋城城主板橋将監親棟の供養塔:板橋城城主板橋将監は小田原北条滅亡後は力を失い、城を去りこの場所に常安寺をたて出家している。この地の地名も板橋と付けられたのは地元住民に慕われていて、供養塔も建てられたと板橋将監供養塔は板橋城登山口より徒歩1~2分のところにあります

城郭攻略情報


2024/03/27 16:15
成田上野介のぼう長親
道の駅日光にて攻略💪😆
2023/07/22 11:20
あざらし肥前守
日光市大室、大室髙龗神社。(❜18・2攻略)
2020/07/24 19:26
織部正颯子
道の駅しおやの前で、日光奉行所とW攻略
2020/03/22 09:09
きくちゃん
日光線下野大沢駅で攻略しました
2018/12/28 17:21
下総守藤次郎
東武鬼怒川線:鬼怒川温泉駅にて攻略!

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 下野足軽さん 17

 2位 ちかみちさん 11

 3位 長宗我部子龍下野守元親さん 4

轟城の周辺スポット情報

 板橋城城主板橋将監親棟の供養塔(碑・説明板)

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 登城口(その他)

 

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