名称(よみ) | 真岡城(もおかじょう) |
通称・別名 | 芳賀城、舞か丘城、(真岡陣屋) |
所在地 | 栃木県真岡市台町字城内 |
天気情報 |
10/18(土) 降水確率:40% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 真岡市教育委員会文化財係[電話] |
分類・構造 | 平城 |
築城主 | 芳賀高貞 |
築城年 | 貞治元年(1362) |
主な城主 | 芳賀氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
再建建造物 | 石碑、説明板 |
2025/10/18 12:05 マグロ常陸介祐平
御前城:文治5年(1189年)に、源頼朝に従い奥州合戦で活躍した波賀(芳賀)次郎大夫高親が帰国後に京泉館から移ったとされています。芳賀家譜によると芳賀伊勢守高貞の代に真岡城へ引越したとあることから、南北朝期(Wikipediaでは1362年)に廃城になったと思われます。高貞は、宇都宮貞綱の子で、芳賀高名(禅可、宇都宮景綱の子)の養子になったとされます。足利尊氏のもとで活躍した甥の宇都宮氏綱に従い、氏綱が守護を務めた下野・上野・越後の守護代となっています。遺構はほとんど残っていませんが、真岡東中学校の校庭沿いと、西側の道路沿いが堀跡で、道路沿いには僅かに痕跡が確認出来ます。
2024/10/06 00:25 マグロ常陸介祐平
東郷陣屋:二宮尊徳関連の史跡です。東郷陣屋は寛政11年(1799年)幕府により建設され、翌年代官の岸本武太夫が着任して改革を実施しています。嘉永元年(1848年)になると東郷支配の山内総左衛門が真岡支配を兼務することになり、二宮尊徳が役人として陣屋に入り用水整備などに尽力しています。相馬藩士に嫁いでいた娘の文子は、親元で出産のためこの地を訪れますが、残念ながら母子ともに亡くなっています。桜町陣屋に隣接する蓮城院には二宮尊徳の墓がありますが、文子がこのお寺に葬られたことにより遺髪を埋葬したことによります。慶応4年(1868年)に真岡陣屋同様にこの陣屋も焼き討ちにあい、陣屋は廃されています。陣屋跡は石碑と説...
来月度の城主争い戦況
1位 あきたそ中務少輔さん 98回
2位 闇瀧宮内卿東洋一さん 64回
3位 モモタロウさん 25回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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