名称(よみ) | シャリ陣屋(しゃりじんや) |
通称・別名 | 津軽藩シャリ陣屋 |
所在地 | 北海道斜里郡斜里町52番地24 |
天気情報 |
11/23(土) 降水確率:50% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 斜里町役場[電話] |
分類・構造 | 陣屋 |
天守構造 | なし |
築城主 | 津軽藩 |
築城年 | 文化4年(1807) |
主な城主 | 津軽藩 |
遺構 | 消滅 |
指定文化財 | 町史跡(津軽藩士シャリ陣屋跡) |
再建建造物 | 碑、説明板 |
2022/02/17 13:05 RED副将軍
シャリ陣屋:ロシアからの沿岸警備の陣屋一冬で大半の藩士が犠牲となった津軽藩士殉難の地オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎1804年にロシア使節レザノフが長崎来航すると、以降ロシアは蝦夷地を侵害。1807年に、幕府から斜里地方の沿岸防衛を命じられた津軽藩が陣屋を設置。ロシア船からの防衛のため、約100名の津軽藩士が詰めました。しかし、急造のバラック建てでは厳しい寒さと食糧不足を防げず、一冬で72人の犠牲者を出し、翌年帰国できたのはわずか17人でした。翌年の1808年に藩士たちは帰国し、陣屋は自然消滅しました。見所標柱、案内板があるのみで遺構は残らず。かつては長屋3棟・倉庫・剣術稽古所・弁天堂・遠見番所で構成...
2021/02/22 04:05 綱島出雲守八雲
シャリ陣屋:説明表示板によると江戸幕府より沿岸警備を仰せつかった津軽藩は藩士100名を派遣。宿舎等設営するも過酷極まる気候風土と浮腫病の蔓延で翌年生きて帰還できたのは僅か17名であったと記載してある。死没者の過去帳が当時の悲惨さを語っていると伝えている。説明表示板は知床斜里駅から車で4分程度の攻略マップ通りの位置にあり。駐車場はなし(人通りもなし)。トイレなし(遺構らしき跡形もなし)。
来月度の城主争い戦況
1位 ミンミン釧路守⚔️⚔️⚔️さん 44回
2位 tower428太閤さん 3回
3位 後藤信濃守又兵衛さん 3回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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